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2022/05/29

余市物語(その2)「旧下ヨイチ運上家の物語」

【北の大地の物語 「場所(ばしょ)と運上家(うんじょうや)」】
松前藩(函館、松前、江差といった和人地)は渡島半島の南端に位置し、農業に経済的基盤をおくことのできない藩でした。
 そのため、蝦夷地の砂金や木材などの特産物や、松前にやってくる交易船から得る税金などをおもな収入としていました。
 上級藩士への禄(給料)も蝦夷地の一定の土地を給地(商場)としてあてがい、対アイヌ交易で得たものを収入とさせていました。
 交易は運上金を支払った商人が請け負うようになり、商人は藩士が持っていた蝦夷地における漁業の権利を得ます。 交易の場であった商場はそこに住むアイヌ民族や出稼ぎしてくる和人が漁業を行う「場所(ばしょ)」に拡大し、アイヌ民族の大地であった蝦夷地は、幕末にかけてだんだんと和人地化してゆきました。

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こういった「運上家(うんじょうや)」は、蝦夷地沿岸各地におかれ、この運上家を拠点に商人は場所内に番人のいる番屋をおき、出稼漁者らの監視をし、自らの場所経営を行いました。

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その後、明治2(1869)年に開拓使が設置され、蝦夷地は北海道に改称されます。
 場所請負制は廃止され、運上家(屋)は本陣と改称、場所請負人目も廃止され、商人も漁場持と改称されました。
 そして明治9(1876)年には、漁場持の名称が廃止され、漁場が営業希望のものに割譲されました。 「今回は、北の漁場の長い長い物語でした!!」

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