「重要文化財 多賀城碑」と「蘇える多賀城南門」
東北歴史博物館を出てJR東北本線「国府多賀城駅」を跨ぐと、多賀城跡の風景が見えてきますが、最初の見ものは「重要文化財 多賀城碑」になります。
この多賀城碑は、多賀城南門に隣接し、南門から政庁へ通じる政庁南大路の東側に建立されています。 碑面には141文字が刻まれており、額面の「西」の文字の下に界線で囲まれた中に多賀城までの里程と多賀城が神亀元(724)年に設置されたこと、天平宝字6(762)年に大規模に改修が行われたことが記されています。
この記述と発掘調査の成果が一致することが明らかとなり、多賀城碑は真碑であることが解明されたことから、平成10(1998)年に重要文化財に指定されました。
なお、この碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれており、発見当初から歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」と結びついて広く世に知られていました。
江戸時代には、松尾芭蕉が旅の途中にこの碑を訪れ、「おくのほそ道」には深い感動をもってこの碑と対面した様子が記されています。



多賀城碑の後ろにあるのが、現在復元工事中の「蘇える多賀城南門」となります。



「多賀城政庁跡」に続く道も、現在工事中の為ぶらり旅はここまで!!、JR東北本線の踏切を渡り博物館の駐車場に戻りました。 「どんとはれ!!」



この多賀城碑は、多賀城南門に隣接し、南門から政庁へ通じる政庁南大路の東側に建立されています。 碑面には141文字が刻まれており、額面の「西」の文字の下に界線で囲まれた中に多賀城までの里程と多賀城が神亀元(724)年に設置されたこと、天平宝字6(762)年に大規模に改修が行われたことが記されています。
この記述と発掘調査の成果が一致することが明らかとなり、多賀城碑は真碑であることが解明されたことから、平成10(1998)年に重要文化財に指定されました。
なお、この碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれており、発見当初から歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」と結びついて広く世に知られていました。
江戸時代には、松尾芭蕉が旅の途中にこの碑を訪れ、「おくのほそ道」には深い感動をもってこの碑と対面した様子が記されています。



多賀城碑の後ろにあるのが、現在復元工事中の「蘇える多賀城南門」となります。



「多賀城政庁跡」に続く道も、現在工事中の為ぶらり旅はここまで!!、JR東北本線の踏切を渡り博物館の駐車場に戻りました。 「どんとはれ!!」



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