みちのく小さな旅「伊達家重臣、片倉小十郎を訪ねて」
白石市の名湯「鎌先温泉」のプチ湯治の前に訪れたのが、片倉小十郎の城下町「白石」でした。
初代片倉小十郎景綱は終生政宗につかえ、伊達家随一の名参謀と言われていますが、まずは「白石三白(しろいしさんぱく)」の一つ温麵(うーめん)で腹ごしらえです。
なお、白石の昔からの名物「白石三白」とは、温麵(うーめん)と和紙と葛で、1万8千石の小大名が南の軍事拠点を守るには、それなりの経済力と軍事力を備えていたようです。


仙台藩の南の要衝で、軍事上重要な拠点だった白石城を景綱が拝領したのは慶長7年(1602年)、以来明治維新に至るまで10代約260年にわたり片倉氏が居城しました。




白石城を抜け外堀を兼ねていた沢端川を西に行くと、そこは中級武士の屋敷があった静かな住宅地で、茅葺屋根の旧・小関家が解放されています。
武家屋敷といえどもその造りは極めて素朴で、農家住宅を素地にしている初期段階の造りのようです。 この橋に佇んでいる吉永小百合のポスターが欲し~い!! 「隠れサユリスト」






初代片倉小十郎景綱は終生政宗につかえ、伊達家随一の名参謀と言われていますが、まずは「白石三白(しろいしさんぱく)」の一つ温麵(うーめん)で腹ごしらえです。
なお、白石の昔からの名物「白石三白」とは、温麵(うーめん)と和紙と葛で、1万8千石の小大名が南の軍事拠点を守るには、それなりの経済力と軍事力を備えていたようです。


仙台藩の南の要衝で、軍事上重要な拠点だった白石城を景綱が拝領したのは慶長7年(1602年)、以来明治維新に至るまで10代約260年にわたり片倉氏が居城しました。




白石城を抜け外堀を兼ねていた沢端川を西に行くと、そこは中級武士の屋敷があった静かな住宅地で、茅葺屋根の旧・小関家が解放されています。
武家屋敷といえどもその造りは極めて素朴で、農家住宅を素地にしている初期段階の造りのようです。 この橋に佇んでいる吉永小百合のポスターが欲し~い!! 「隠れサユリスト」






コメント
いいですねー
こんなお城があるんですねー
見てみたいですねー‼️
2020-09-25 21:53 トシヒコ URL 編集
「トシヒコ」さんへの返信
小さなお城の、小さな城下町ですが、けっこう見どころは多いんです。
ぜひ一度、おいでなんしょ!!
2020-09-25 23:30 「東北の温泉バカ」 URL 編集