2022/08/31 今日の野鳥「嬉しいセイタカシギ(背高鴫)五羽」 この日は朝から小雨のため家でゴロゴロしていると、大沼の傍の田んぼに「セイタカシギ(背高鴫)」がいる、との鳥さん情報を貰いました。 最近は「鳥撮り」から少し遠ざかっており、こんな機会は貴重でしたが、30~40分もすると雨は本降りになってしまいました。 「滑り込みセーフ!!」
2022/08/30 「彫刻家・八木麟太郎を支える多くの友へ」後編 仙台人の密かな愉しみとして心待ちにしていた、ミヤギテレビ「OH!バンデス」での放送が、先週月曜日の「がんばろう宮城!繋ぐ」のコーナーで、「岐阜の山中で10年、75歳彫刻家の思い」として放送されました。 実は、先週22日(月)は宮城の仙台育英が甲子園で初優勝した日、放送枠がどうなるのか心配でしたが無事放送!!、岐阜そして愛知で彼を支える多くの友に感謝の報告記事です。 そして、TV放送の録画から、必要個所の画像処理を手伝ってくれた我が友にも感謝!! しかしながら、総重量28トンもの彫刻作品を、600キロも離れた名取市にこれから運ぶわけで、彫刻家の苦労はまだまだ続きます!!最後になりますが、作品の「銘板」の言葉が決まったようです。 「蘇生」蘇生とは 根源の心に還ること命を灯せ夜の明けるまで 原井日鳳
2022/08/29 「彫刻家・八木麟太郎を支える多くの友へ」前編 仙台人の密かな愉しみとして心待ちにしていた、ミヤギテレビ「OH!バンデス」での放送が、先週月曜日の「がんばろう宮城!繋ぐ」のコーナーで、「岐阜の山中で10年、75歳彫刻家の思い」として放送されました。 実は、先週22日(月)は宮城の仙台育英が甲子園で初優勝した日、放送枠がどうなるのか心配でしたが無事放送!!、岐阜そして愛知で彼を支える多くの友に感謝の報告記事です。 そして、TV放送の録画から、必要個所の画像処理を手伝ってくれた我が友にも感謝!! しかしながら、総重量28トンもの彫刻作品を、600キロも離れた名取市にこれから運ぶわけで、彫刻家の苦労はまだまだ続きます!!最後になりますが、作品の「銘板」の言葉が決まったようです。 「蘇生」蘇生とは 根源の心に還ること命を灯せ夜の明けるまで 原井日鳳
2022/08/28 北のパラオ「天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑」2 同じタイトルで2018.09.01にアップした記事の続きですが、鎌先温泉から遠刈田温泉に向かう途中、久しぶりに「蔵王町、北原尾地区」を通りました。 ここは、パラオからの引き揚げ者たちが戦後に入植した地区で、パラオを忘れないようにとの願いから名付けられたのが北のパラオ「北原尾」でした。 戦後70年の節目に、現在の上皇上皇后様が「パラオ共和国」を訪れ、それから僅か二か月後に私的旅行としてここを訪れたことに、アホなオイラでも深い感銘を受けたものでした。
2022/08/27 今日の名湯「鎌先温泉“最上屋旅館”」 日本秘湯を守る会の宿に加盟している「鎌先温泉“最上屋旅館”」は、ご覧のように格子の引き戸が2階部分を覆い、何とも風情のある雰囲気を醸し出しています。 そして、館内に入ると階段や手すり、客室の天井や床柱などに、ふんだんに木材が使われており、老舗宿の長い時の流れを感じ心を穏やかにしてくれます。今回は「みやぎ県民割」を使った連泊だったので、二日目の朝は宿の周辺をのんびり散歩です。 ちなみに、一つ前の画像の手すりの付いた白い建物が、最上屋の浴室そして湯治棟で、一番奥の「湯主一條」の手前まで四つの建物が連なっております。
2022/08/26 歴史を物語る「旧上戸沢検断屋敷、木村家住宅」 【材木岩公園に移築、復元された「旧上戸沢検断屋敷、木村家住宅」】白石市小原の上戸沢(かみとざわ)は、山中七ヶ宿街道の最南端に位置し、20数件ほどからなる山間小集落で、仙台藩境の番所がおかれていた宿場でした。 七ヶ宿街道は、福島県小坂(現福島県国見)から、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原を経て、山形県上ノ山に至る街道で、上戸沢から湯原まで仙台藩領の七つの宿場の存在から「七ヶ宿街道」と呼ばれてきました。 上戸沢には本陣はなく、検断屋敷(宿場の伝馬人足を取り仕切る、木村家)が準本陣として、大名などの休憩にあてられていました。
2022/08/25 ふだん着の温泉「小原温泉“岩風呂かつらの湯”」 今回のプチ湯治は久しぶりの県南部で、それならば小原渓谷の自然に抱かれながら自噴源泉を楽しめる共同浴場をと、「小原温泉“岩風呂かつらの湯”」を立ち寄り湯に選びました。 こちらは、白石川の増水で土砂に埋もれ、長い間使用していなかった源泉を復活させた岩風呂で、れっきとした白石市営の共同浴場です。それでは暖簾をくぐりますが、まるで洞窟の中に入るように、入り口から階段を下りて脱衣場と湯船に向かいます。 男女各一つずつの岩風呂は、湯船から見上げる高い天井と射しこむ光が心地よく、観光客だけでなく地元の人々にも愛されております。ただし、小原渓谷の景観は望めないので、湯上りにはベンチに腰掛け、目の前を流れる川のせせらぎを聞きながら、時折通り過ぎる川風を楽しみましょうか。
2022/08/24 今日の野鳥「ヨシゴイ(葦五位)の若鳥」 岐阜県伊那の旅から戻り、久しぶりの大沼でしたが、ヨシの茂みではあちこちで「ヨシゴイ(葦五位)の若鳥」の鳴き声が賑やかでした。 そんな鳴き声を頼りに姿を探しますが、もうすでに親鳥とほぼ同じ大きさで、この子たちの旅立ちももう間もなくでしょう。ここからは画像を少しトリミングして、狩りのシーンもご覧いただきましょう!!狩りの獲物は小さなイトトンボ!!、よくもまあ、そんな!! 「煩いオヤジやな~!!」
2022/08/22 宮崎駿の世界「天空の城ラピュタ」とは!? 宮崎駿の世界「天空の城ラピュタ」のモデルはここ!?、と思わせるような世界が、今回の旅で見た巨石に築かれた山城、岐阜県南部にある「苗木城跡」でした。 苗木城跡は中津川市を東西に流れる木曽川の右岸、一段と高くそびえる山にあります。木曽川から山頂の天守跡までは、標高差約170メートル。急峻な地形を生かして築かれました。 苗木城の城主は遠山氏。戦乱の時代から明治維新まで苗木領を治めました。 現在は天守跡に展望台が設けられ、恵那山や木曽川をはじめ中津川市街を360度見渡すことができ、美しい景色が見ものの希少な歴史建造物です。私が圧倒されたのは、自然石を利用した石垣の多さで、全国的にも大変珍しい景色でしょうね。これで岐阜県伊那の旅、全10作のアップは完結し、「東北の温泉バカ」は午後から近くの温泉にプチ湯治です!!
2022/08/21 歴史を物語る「妻籠宿本陣」と「脇本陣奥谷」 妻籠宿の本陣は代々島崎氏が勤めていましたが、明治20年代に最後の当主広助(藤村の実兄)が東京へ出て、建物も取り壊されました。 その後町に払い下げられたのを機に平成7年、江戸時代後期の間取りをもとに忠実に復元したのがこの建物です。モデルさんは彫刻家と映像作家でした。妻籠宿の脇本陣は屋号を「奥谷」といい、代々林氏が勤めてきました。木曽五木のご禁制が解かれて、明治10年(1877)に総檜造りで建て替えられたのが現在の建物です。 昭和42年には妻籠宿保存の中核として公開され、平成13年には国の重要文化財に指定されました。裏の土蔵には、脇本陣関係の民俗資料や藤村文学関係資料などが展示されています。
2022/08/20 町並み保存のさきがけ「中山道・妻籠宿(つまごじゅく)」 中山道・妻籠宿は、昭和40年代初め日本全国が高度経済成長に湧く中にあって、歴史的な景観を守るべく、率先して町並みを守る運動に取り組みました。 そして今日、国の重要伝統的建造物群保存地区の主柱として、また全国町並み保存連盟の中核として、町並み保存運動の先頭に立っております。街道の中ほどにあった「枡形跡」は、敵の侵入を阻むために道を二度直角に折り曲げたもので、往時のままに保存されておりました。この日は旅の半ばの祝日、観光客を出来るだけ入れない撮影技術は少々役に立ったようです。
2022/08/19 恵那の人々「敷地には美術館、庭には彫刻群のお宅」 教育者というか哲学者というか!!、そんな思考を持った方々のお友だちは、何故か同じようなお友だちが集まるようで、今回は何ともステキな時間を楽しみました。 その第三弾は、「敷地には美術館、庭には彫刻群のお宅」ですが、こちらの故・加藤公雄(こうゆう)さんは彫刻家で八木さんの兄貴分、そして日本に戻ってからの良き理解者でした。 そんな故人の遺志を継いで、今も深いお付き合いがあるようですが、初日の夕刻のパーティーの参加者、「遠山の金さんの末裔」の奥さんは、このお宅の「公雄さん明子さんご夫婦」の長女とは何ともステキな関係です。それでは美術館の中に入りますが、八木麟太郎氏の作品も混じって展示されておりました。そして、後半の画像二枚は加藤公雄さんその人で、お元気な奥様は書道家のようです!!
2022/08/18 日本の棚田百選「恵那市の坂折棚田」 ここは標高410~610m、面積14万2千㎡、棚田枚数360枚のおすすめスポットです。 豊かな緑に包まれた笠置山(かさぎやま)と権現山(ごんげんやま)に包まれた恵那市中野方町(なかのほうちょう)坂折。扇状に広がる「坂折棚田」は、約400年前から築かれました。 先人たちの知恵と努力が凝縮された石積みの棚田は、訪れる人の心を癒してくれます。 気候は寒暖の差が大きく年間降水量が多く、坂折川上流部には希少な植物が生育する湿地があり豊かな水源を生んでいます。 (保存会の案内板をそのまま借用しました)
2022/08/17 「名古屋市広小路通りは、彫刻家・八木麟太郎の世界」 長年、ヨーロッパで制作活動を続けてきた彫刻家は、岐阜県中津川市に制作拠点を移しますが、大きな転機は1989年から設置が始まった名古屋市広小路通りの彫刻群でした。 表通りに面したビルの解体・再開発などで、少々数は減ったようですが、広小路通りの歩道には、現在も24点が「街角ギャラリー」として自己主張をしています。彫刻家の姿を店内から見かけ飛び出してきた、この宝石店の店主も先生の良き理解者でした!!