みちのく仙台発!!、名湯秘湯、バードウォッチング、自然観察!!、備忘録
今回の写真講座、午前中は早戸温泉「つるの湯」の船着場から、昔懐かしい
櫓櫂(ろかい)の和舟に乗って霧幻峡へ渡りました。
【以下は、霧幻峡プロジェクトの小冊子からの抜粋です】
霧幻峡は、300年間の歴史を紡ぎながらも、昭和39年に裏山の土砂崩れ
で、残念ながら廃村となりました。
その廃村集落には、今なお大山祇神社や子安観音、霧幻地蔵や古民家、
硫黄鉱山等の産業遺産が歴史のままに残されています。
(以下、一部省略)
昭和39年4月16日午前6時、三更部落背後の上部山腹(通称ブナ坂)が、
大音響と共に崩壊し、一瞬の内に部落を埋め尽くしました。
戸数10戸の三更集落は、集団移転を余儀なくされ、各地に分散、集落は
廃村となりました。それに伴い、集落と対岸の早戸との間を繋ぎ、地区民の
暮らしと命を守っていた渡し舟もその役目を終わる事になりました。
実は、今回講師を引き受けてくれた郷土カメラマン、星 賢孝(ほし けんこう)
氏は、この地で生まれ育った方でした。
(興味のある方は、この名前で検索すると、写真を含め色々出てきますよ!)
【こちらは、今年5月の早戸温泉「つるの湯」です】
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9oaXRvdW5pbWVndW1hcmUvMzc1MzQzOTEuaHRtbA--
今回の旅、二泊目のお宿は福島と山形の県境にある「日中温泉“ゆもとや”」でした。
写真講座「日本の原風景・奥会津と只見線を撮る」も終えて、この日はゆったりと
骨休め、スナップはいずれも翌朝撮影したものです。 「少しは進歩したかな(?)」
【「日中温泉“ゆもとや”」の解説】 (秘湯を守る会の小冊子から抜粋)
日中温泉の歴史はかなり古い。 江戸時代の末期、文化10年に金山を掘ろうと
して発見されたという。
押切川の水害に幾度となく流された温泉だったが、今は山形と福島の県境に日中
ダムが完成し、その真下という特異で広大な場所に、蔵屋敷風の落ち着いた一軒宿
が建っている。 東に吾妻連峰、西に飯豊連峰を仰ぎ見る、雄大な自然に囲まれた
山峡を一人占めした環境である。
ここの温泉には、鉄分を多く含んだ含土類弱食塩泉、ちょっと温めなのが特徴で
露天風呂にあふれている。 体の芯から温まるのにゆっくり、のんびり時間をかけて
浸かりたい温泉である。
6月上旬には、近くの小山一面にヒメサユリが可憐な花を咲かせるので、花見物と
温泉もお勧めである。 (以下省略)
【今年6月の南会津「天空のヒメサユリ」はこちらです】
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9oaXRvdW5pbWVndW1hcmUvMzc2MTYyNTkuaHRtbA--
今回の旅のメイン企画、「日本の原風景・奥会津と只見線を撮る」ですが、
改めて、鉄ちゃんたちの苦労が分かりました。
まずは鉄道ダイヤを理解すること、撮影ポイントを事前チェックすること、
日々体を鍛えること、そして当日の天候も予測することかな。
我がフィールドの鳥撮りでは、とにかく歩くこと、飛び出したら逃がさない
こと、光線はその時の行き当たりばったりでした。
【今日のウンチク 「JR只見線とは」】
只見線は、福島県会津若松市と新潟県魚沼市を結ぶ、全長約135kmの
鉄道路線です。
沿線地域は国内有数の豪雪地帯で、只見線は地域住民にとって大切な
足であるとともに、只見川と山々が四季を通じて織りなす車窓からの眺め
は、愛好家、旅行者等に愛されてきました。
しかし、平成23年7月の新潟・福島豪雨災害により、うち4つの橋梁が
深刻な被害を受け、現在も会津川口から只見駅間が不通となっています。
復旧には82億円もの費用がかかりますが、この度、国・県・周辺自治体
・JRが各1/4を負担することで合意し、今年の6月から工事が着工して
おり、3年後の全線開通を目指しております。 (良かったネ~!!)
今回の湯旅、初日のお宿は「柳津温泉“つきみが丘町民センター”」でした。
こちらは福満虚空蔵菩薩圓蔵寺の門前町で、前泊の宿は只見川を望む
高台にありました。
一泊二食付き税込み7,950円と、懐にも優しい源泉100%かけ流しの
温泉施設ですが、おやおや6,500円のビジネスコースまでありましたよ。
【会津柳津温泉の由来】 (温泉施設内の掲示物より転載)
旧来、当温泉は、西山地区の荒湯より約12km引湯し、これを各旅館に
配湯、「柳津温泉」と称しておりました。
しかし、当地域にも温泉をという、関係者の長年の夢を実現させるべく、
圓蔵寺のご協力の基に町が虚空蔵尊境内地に温泉掘削を試みたところ、
昭和62年4月、地下700mより温度46.8℃、湯量毎分510ℓという豊富
な温泉が湧出したものであります。
これを「柳の湯」と命名し、現在当施設各旅館等に配湯、奥会津の名湯
「会津やないづ温泉」として好評を得ております。
後半3枚は早朝の風景ですが、施設の周りには霧が立ち込め、心躍る朝を
迎えました!! そして、いよいよ今日は写真講座です。
熱塩温泉の開湯は古く、示現寺の僧・源翁和尚が1375(永和元)年に発見した
と言われる山間の古湯です。
江戸時代には湯治場として栄え、名前の通り塩分の強い湯が湧き出し、皮膚
病やリューマチ、特に婦人病などに効くとされ、子宝の湯としても知られました。
温泉街の細い坂道を上りきった正面には、源泉の湯小屋と足湯がありますが、
そこは示現寺山門の真正面になります。
近くには廃線となったローカル線・日中線の駅舎が記念館としてそのまま残され
ており、今ではなかなか見られない懐かしいラッセル車や、展示資料を見に足を
運ぶ鉄道ファンも多いようです。
お隣りの商店で金200円也を支払い、一人まったり湯浴みをしておりましたが、
暫くすると地元の方が入ってこられ、湯船の中でこちらに住まないかと誘われた
のは初めての体験でした。
今回の旅は、大人の休日倶楽部の写真講座「奥会津と只見線を撮る」がメイン
でしたが、前泊をして「裏磐梯と五色沼の風景」も撮ってみました。
いつもは、野鳥と温泉が被写体ですが、風景を撮るというのはけっこう難しく、
ヘボ風景写真家にお付き合いください。
五色沼ビジターセンターから毘沙門沼、そして弁天沼まで散策しましたが、
観光客が多く人を入れないのも大変でした。 (9枚目はあえて確信犯!!)
【磐梯山と五色沼】 (ビジターセンターの案内板より転載)
1888年(明治21年)に大爆発した磐梯山は、南側の表磐梯と北側の裏磐梯
とでは違った表情を見せています。
表磐梯側の緑に覆われた端正な姿に対し、裏磐梯側は噴火による大崩壊の
跡が残る荒々しい姿が眺められます。
裏磐梯の五色沼周辺の大小の湖沼群は、この時の噴火によって生じた岩石
や泥流が堆積し、窪地に水がたまり誕生しました。
さまざまな彩りを見せる沼の水の色の違いは、火山活動によって水に溶け込
んだ成分と、太陽光線の働きによるものです。
噴火直後は泥流が覆いつくし、荒涼としたこの地でしたが、現在は素晴らしい
自然が再生しています。
先日は一コマだけ紹介しましたが、今回は久しぶりの長編として、秋深し
「リスのママも大忙し!!」です。
青葉山公園で活動している、「リス博士」に見つけていただいたもので、
正直一人ではこうはいきません。
【チロリン村と胡桃の木】
「何故、仙台の公園ではリスが見られるの」 と言うブロガーのご質問には、
今回のスナップに答えがあります。
ここ青葉山公園は、元々は仙台藩の御用林で、広瀬川河畔には胡桃
の木が多く育ち、その実がこの子たちの備蓄食になります。
そして今日は、「リス博士」から教えられた、【リス識】をご披露致します。
【写真6~9】がチビリスですが、親の耳がツルンとしているのに対し、
子どもは耳の先には産毛が生えているそうです。
【チビリスの離乳食とは】
今季は、何故か秋に巣離れをした子たちですが、母親のおっぱいの他に、
古木に生えている苔やキノコが離乳食で、最後の二枚は末っ子だとか。
「日々の観察眼には、ただただ脱帽です」 今回も、感謝感謝でした!!