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2011/08/31

秀吉天下統一最後の戦い「九戸政実の乱」



今回の「三八上北の旅」の始まりは、8月23日に最初に立ち寄った“九戸城”ですが、この夜
はちょうど「九戸城月見の宴」でした。 では、久々の歴史物語とまいりましょうか。

【「九戸政実の乱」の物語】
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は最後まで服従を拒否していた小田原の北条氏を滅亡させ、
奥州仕置のため小田原を出発して宇都宮まで進みます。
 ここで、小田原攻めに参陣しなかった、葛西晴信・大崎義隆・和賀義忠・稗貫広忠らの改易を
決定し、葛西・大崎領には木村吉清、鳥谷ヶ崎(現在の花巻市)には浅野長政が配置されます。
 一方、前田利家らを通じて中央の政治情勢を注視していた南部信直は、一族の八戸政栄に
留守を託し、小田原の秀吉のもとに参陣します。 
こうして信直は、秀吉から糠部・鹿角・閉伊・岩手・志和・稗貫・和賀の「南部内七郡」の本領
安堵を受け、豊臣大名としての公認を受けます。
 天正19年(1591年)正月、南部信直の正月参賀を拒否した一族の九戸政実が挙兵、長年
燻ぶっていたお家騒動が表面化しました。
自力で鎮静化出来なくなった信直は秀吉に注進、秀吉の甥・豊臣秀次を総大将とする5万とも
10万ともいわれる再仕置軍がやってきます。 迎え撃つ九戸軍はわずか5千で、難攻不落と
いわれた“九戸城”を舞台に果敢に戦いましたが、9月に政実・実親兄弟は降伏します。
この本州最北の戦いで、豊臣秀吉の天下統一は完成しました。

【「九戸政実の乱」の布石】
時はさかのぼり天正10年(1582年)、南部晴政が病死すると南部氏は晴政の養子・信直と
実子・晴継の後継者を巡る激しい家督争いが始まります。 ここで晴政の後は、実子の晴継が
継ぎましたが、父の葬儀終了後、三戸城に帰城する際に暗殺されてしまいます。
 急遽、南部一族や重臣が一堂に会し大評定が行われ、後継者としては、晴政の養子・信直と、
一族で有力勢力の九戸政実の弟で、晴政の娘婿である九戸実親が候補に挙げられます。
評定では実親を推す空気が強かったのですが、北 信愛が事前に八戸政栄を調略し、結局は
信直が後継者に決定します。
 政実としては、恩ある南部宗家を晴継暗殺の容疑者である信直が継いだことに、大きな不満
を抱き自領へ帰還しますが、物語はここから始まりました。

(ご参考) 九戸政実が主役の小説
     高橋克彦 「天を衝く」 ~ 秀吉に喧嘩を売った男 九戸政実 ~ (講談社)

2011/08/30

今日の秘湯「青森・野沢温泉“新郷温泉館”」



今回の、「三八上北の湯めぐり」で最後に登場するのが、新郷村(旧・戸来村)の
村営温泉である野沢温泉「新郷温泉館」です。
 あの有名な長野県の「野沢温泉」と同じ名前ですが、こちらは共同浴場とそこ
から引湯した宿泊施設と言う、山奥に隠れた一軒宿の秘湯です。
 昔からの共同浴場はこの少し先にあり、土・日・月・祝日の営業のため入浴は
出来ませんでしたが、懐かしい泉質を楽しむ事が出来ました。
 当日の宿泊客は最初は私一人、夜になり飛び込みの夫婦一組が増えましたが、
夕方までは日帰り入浴客で賑やかだった浴室も、翌朝はご覧の通りの貸切状態、
折角ですから皆さんにも入浴気分だけでも味わっていただきましょう。
なお、宿泊代は村へ4,500円、二食分は冷酒付きで食堂へ2,830円でした。

【野沢温泉“鷲ノ湯伝説”】
昔から湯沢と呼ばれ、南部地方唯一の硫黄泉の湯治場として親しまれてきたのが
「鷲の湯・野沢温泉」です。
 言い伝えによると、傷ついた鷲がその傷を湯に浸しているのをみていた漁師が、
でき物が消えずに困っていた娘をその場で洗ったところきれいに治り、以来湯守
りとなり村人に薬効を広めたといいます。
 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・慢性消化器病に良いと言われ、ひなびた
雰囲気が懐かしい野沢温泉の近くには、露天風呂のある近代的な「新郷温泉館」
も新設され、長期滞在も可能となりました。

一時、ピーアールに使っていたという「キリストが発見した温泉!」よりは、少しだけ
出来が良くなりましたが、まだまだというところでしょうか。

2011/08/29

奥武士日誌「ミヤマクワガタと蝶たち」



昨日ご紹介した、週末の里山暮らしの後半になりますが、やっと天気に恵まれたせいか、
庭先の「樹液レストラン」には蝶々が飛び交い、やや小ぶりの「ミヤマクワガタ」のオスや
「カブトムシ」が被写体になってくれました。
 蝶たちは、「タテハチョウ」や「ジャノメチョウ」の仲間たちが10数頭いましたが、やはり
「ミヤマクワガタ」とのセットで撮ってしまいますね。

【“スミナガシ”の特徴】
成虫の前翅長は32~44mmで、メスの方がやや大きく、翅の形は丸みを帯びた三角形
で目立つ突起などはありません。
ストローのような口の部分は赤色で、周りの体の色に比べ目立っています。
 森林性のチョウで町中では見られませんが、スミナガシという和名は、黒っぽい中にも
複雑な模様がある翅を「墨流し」で作った模様に例えたものです。

【“ルリタテハ”の特徴】
成虫の前翅長は25~45mmで、黒っぽい濃紺の翅の表面に「瑠璃」の和名のとおりの
鮮やかな水色の帯模様が入るのが特徴です。
 この帯模様は前翅の先端部で切れ、代わりに白い斑点が付いています。
裏地は茶褐色で細かい模様があり、樹皮や落ち葉に似ていて翅を閉じると忍者です。
平地の森林内や周辺部に生息し、都市部の公園や緑地などでも見かけることがあります。

2011/08/28

奥武士日誌「ミヤマクワガタとカブトムシ」



昨日は、久々に太陽が顔をのぞかせた週末で、奥武士にお出かけとなりました。
 しばらく天候が悪かったせいか、庭先の「樹液レストラン」には蝶が飛び交い、
近づいてみるとやや小ぶりの「ミヤマクワガタ」のオスが、近くにはメスもいます。
 その後、二度目に覗いた時には「カブトムシ」が2匹増えており、その内1匹は
赤い体色の子だったので、ご覧のようにアップで撮ってみました。
 二週間前にご紹介したのが「ミヤマカミキリ」で、その前が「コクワガタ」!!
これで、ここの樹液に集まる代表的な甲虫は勢揃いいたしました。

明日は「樹液レストラン」の後編、後日、午後から近くの新川にビールのおつまみ、
カジカの唐揚げを取りに行った「少年時代のおっさん達」をご紹介いたします。

2011/08/28

立ち寄り湯「青森・五戸温泉“たんぼのゆっこ”」



8月24日から始まりました、「青森県・三八上北の旅」も愈々中番となりますが、
ここからは温泉バカの世界にどっぷりと浸ってみたいと思います。
 題して「おいであんせ!五戸の湯!」三連発です。 新郷村でキリストの墓に
お参りをした後、お隣の五戸町の湯巡りですが、第三湯は「五戸温泉」です。
宿泊した野沢温泉「新郷温泉館」を除くと、いよいよ最後の温泉となりました。

【五戸温泉“たんぼのゆっこ”】
五戸温泉は愛称「たんぼのゆっこ」で親しまれ創業は1967年(昭和42年)と古い。
 2001年11月に建て替えをして新装開業したというが、10年も経つような建物
には見えず、日帰り入浴施設と言うよりも大きな民家に見えた。
 ここは広々とした田園地帯の真ん中にあり、建物の周りは「たんぼ」で、車が交差
出来ない程の農道を通るが、それが愛称の由縁のようだ。
 浴室は大浴場、電気風呂、リラックス寝風呂、サウナ、水風呂、くすり湯等があり、
露天風呂は無いが、庭に出てベンチで体を冷ますことが出来る。
 玄関は車イスで出入りできるようスロープが施され、車イストイレも併設される等
バリアフリーの配慮もされていた。

ご覧の通り、造りは質素だが、長年地元の人たちに愛されてきた温泉は一味違う。

2011/08/27

ふだん着の温泉「青森・五戸まきば温泉“一軒宿”」



8月24日から始まりました、「青森県・三八上北の旅」も愈々中番となりますが、
ここからは温泉バカの世界にどっぷりと浸ってみたいと思います。
 題して「おいであんせ!五戸の湯!」三連発です。 新郷村でキリストの墓に
お参りをした後、お隣の五戸町の湯巡りですが、第二湯は「まきば温泉」です。

【五戸まきば温泉の由来】
その昔、まきば温泉のある一帯は、山林・原野・牧場などがあり、その間を今は廃線
となった南部鉄道が走るのどかなところでした。
 江戸時代から馬の産地として知られる五戸町ですが、当時畜産で生計を立ててい
た初代小笠原永子さんが、ある時「温泉が湧き出る夢」をみました。
 最初は気にも止めずにいたのですが、どうしても気になってボーリングをしたところ
何と夢のお告げどおりに温泉が湧き出たそうです。
それが「五戸まきば温泉」源泉かけ流しの湯のはじまりとなりました。

【90歳まで働いたおばあちゃん】
以来、県南地方は勿論、遠くは津軽・下北地域にも「五戸まきば温泉」の名が知れる
ようになり、今では県外にも多くのファンを持つようになりました。
 この温泉施設を建てた初代小笠原永子さんは、90歳で亡くなるまで毎日受付に
座り、常連客から温泉おばあちゃんとして人気を呼びました。

その後施設は拡充をし続け、平成18年にサウナ、平成19年には露天風呂も完備し、
100名の大宴会場、家族風呂2つ、温泉風呂付客室等と合せると凄い施設です。
ここがNHK「ふだん着の温泉」で紹介されたのは、2003年12月14日のことでした。

2011/08/26

立ち寄り湯「青森・倉石温泉“日帰り入浴施設”」



8月24日から始まりました、「青森県・三八上北の旅」も愈々本番となりますが、
ここからは温泉バカの世界にどっぷりと浸ってみたいと思います。
 題して「おいであんせ!五戸の湯!」三連発です。 新郷村でキリストの墓に
お参りをした後、お隣の五戸町の湯巡りですが、第一湯は「倉石温泉」です。

【“倉石温泉”のおいたち】
この交流センター「倉石温泉」は、あの懐かしい“ふるさと創生資金”1億円也を
活用して掘り当てた温泉ですが、当時一番安易なブームは温泉等の箱モノ造り
で、無策だったのが金の延べ棒でした。 でも、今も持っていたらネ~!!
 超音波やバイブラの浴槽のマッサージ効果が全身を和らげ、ほかにサウナ、
憩い室、交流ホール、和室など心と体を癒すスペースが併設され!、などという
謳い文句は、ほとんどが何処かの企画会社が作ったものでした。

【どうするの“公営温泉”】
当時はバブルの絶頂期、収支計算などして建てた訳ではなく、単純にあった方
が良いという施設が日本国中に出来、今地方自治体の財政を圧迫しています。
 この建物も温泉だけなら、今の1/4もあれば十分で、周囲を見渡すと建物の
5倍はある駐車場、周辺の広場を入れると10倍以上という広大な面積です。
 おそらく、「道の駅」のような施設をつくるため用地を取得し、町の期待外れで
計画がとん挫した結果と思われます。

などと、そんなお堅い話はさておいて、何ともご立派な山里の温泉をご賞味です。

2011/08/25

歴史ロマン「キリストの里伝承館」



「ゴルゴダの丘で磔刑に処されたはずのキリストが、実は密かに日本に渡り、この
みちのくの山村で百六歳の天寿を全うした。」 昭和十年、この竹内古文書の記述
を元に、古代史研究家らがこの地を訪れ、キリストの墓が発見されたという。
 こんなロマン溢れる山村を最初に訪れたのはいつのことだったでしょうか。
青森県新郷村がまだ戸来村と呼ばれていた頃、戸来→へらい→ヘブライ、そして
青い目の渡来人の末裔が住む山村とは、何とも魅力的な旅のおまけでした。
 写真は、キリストの墓とキリストの里伝承館ですが、真偽のほどはともかく、今日
はちょいと心を遊ばせてみましょうか。

【“キリストの墓”の解説】 現地の案内板をそのまま転記

イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね、33才
のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤの
人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さん
と致しました。
 しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのです。
他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本
の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才天寿を以って、この地に没しました。
 この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀って
おります。 以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。

更に詳しい内容は、「キリストの里伝承館」で検索してご覧ください。    (おしまい)

2011/08/24

今日の秘湯「青森・金吹沢ラジウム鉱泉“一軒宿”」



名湯・秘湯の青森県の中で、八戸周辺の三八上北地方は隠れた温泉の宝庫です。
今回は仕事に絡めて、“物見遊山”ならぬ、“物見湯産”の一泊二日を過ごしました。
一日は目一杯の“物見湯”、そして今日一日は“産業(仕事)”ですかね。
 そして、わずか午前中で終わった仕事の後は、昔から狙っていた八戸市大久保、
あの高校野球の決勝戦まで行った、光星学園野球部の宿泊施設のすぐ傍でした。
キリストのお墓参りから始まった小旅行を、今後7回シリーズでお届けします。

【金吹沢ラジウム鉱泉のご説明】
この泉は、正面を撮った写真の通り、白堰龍神(はくせきりゅうじん)、金吹沢神社の
境内を源として湧きだしております。
 ラジウム水を生活水として利用しており、温泉施設の奥には、診療所まで備えられ
総合医療(福祉)施設とでもいいましょうか。
 この鉱泉は特に保温に優れており、入浴後も湯冷めにくいという特色があるよう
ですが、一般的な温泉のガイド本には出てきません。
 そして、この温泉の良さは広大な庭園に囲まれており、窓を開けて入浴すれば
まさに森林浴と言う自然環境でしょうかね。

【金吹沢ラジウム鉱泉のお勧め】
温泉バカは12時半までがお仕事で、今日は昼食を兼ねて入浴させて貰いましたが、
室内には爺ちゃん婆ちゃんがざっと30数名とご盛況でした。
 浴室内の下の写真は、4名の入浴客を避けるように撮ったものですが、我ながら
冷たい視線を無視してよくぞ撮ったものです。(エライ!)
 この後昼食でしたが、そば・うどん類がほとんど400円、丼物が450円、
一番高いカレーライスが500円なら、来ちゃいますよね~!!
 最後にお宿のピーアールです、お一人様の素泊まりが3,150円、朝食付きが
3,675円なら、もし仙台にあれば「温泉バカ」も利用しますね。

2011/08/20

今日の野鳥「ちょっと脅迫されてます」



ここ広瀬川に、いつも一人ぼっちの可愛い娘がいましたんや。 オヤジも心優しい
から、それなりに声をかけたり、励ましたりしていましたんやけど…。
 でも、その娘は仲間たちに加わろうとせず、今日も浮いた存在のままなんです。
さあ、貴方な~らどうする!、貴方な~らどうする! (相変わらず古い歌やな!)

【オヤジとオシドリ娘との会話、本番スタート】

「ねえ、ねえ、おっちゃん!!」
「 … (ドキッ!)」
「最近おっちゃん、よそよそしくな~い!!」
「どこかに、良い娘でも出来たの(?)」
「ついこの間まで、お前が一番可愛いって言ってたやん!!」
「AKBの前田や大島よりも、可愛い言うたやん!!」
「い、いやいや、本当に可愛いよ!」
「白々しいな~!、じゃあ、その逃げ腰は、なあに(?)」
「いや、熱中症が最近怖くてね!」
「どんな、熱中症なんだか(?)、怪しいもんだね!!」
「 … (ドキッ、ドキッ!)」
「いや~!、おっちゃん、もう歳やからさ!」
「その割には、あっちゃこっちゃにモーションかけてからに!!」
「 … (ドキッ、ドキッ、ドキッ!)」
「ギャル曽根も結婚引退だろうから、大食いアイドルでデビューさせて!!」
「見て見て!、この喰いっぷり!!」
「クズの葉っぱや花をブログに載せてたやん!!」
「まずは、あたいを明日のブログに載せて、約束やで!!」
「載せへんかったら、ムニャムニャネタ、バラすで~!!」
「おぉ~怖!!」                     (皆さんも若い娘にはご用心)

2011/08/17

夏の終わりに「オオムラサキ」



あれだけ賑やかだった雑木林の「樹液レストラン」もだいぶ静かになり、この一週間
河畔公園でも奥武士の里山でも、虫たちの姿をほとんど見なくなりました。
 雑木林三部作にご登場の「オオムラサキ」でしたが、最後に会ったのが8月5日の
とにかく暑い日でした。
 こんなことを喋っていたみたいで懐かしい子です。
「最初は、翅を開いて見せたるからな~!!」
「次は、男前の顔を正面からアップやで!!」、 今年の楽しい夏の思い出です!!

2011/08/15

奥武士日誌「ススキとミヤマカミキリ」



先週末はお盆の入りで、里山の住人たちもお休みでしたが、予定の無い爺は
ちょこっと奥武士を覗いてみました。
 この日も仙台は32℃を越え暑い陽気となりましたが、木陰で寛いでいると
吹く風が心地よく、秋が近づいているのを感じます。
 ご覧の通り、あちこちにススキの穂が顔を見せ始め、目の保養に一役かって
くれ、雑木林には「ミヤマカミキリ(深山髪切)」が樹液を吸いに来ていましたが、
カメラのシャッター音で樹上に逃げてしまいました。
 前にご紹介した「ルリボシカミキリ」とは違い、大型で地味なカミキリですが、
子どもの頃、よく外灯に飛んできたのを思い出しました。

【ミヤマカミキリ(深山髪切)の解説】
体長が34~57mmと大型のカミキリムシで、時期は6~8月に、北海道から
九州までほぼ日本全土で見られます。
 くすんだ茶色をした大きなカミキリムシで、触覚も体長以上に長く、胸部に
横しわがあるのが大きな特徴です。
 夜間、クヌギ・コナラなどの樹液にやってきますが、この日は里山の住人が
お休みと知ってか、白昼堂々のご登場でした。

この子以外に樹液に集まる虫たちは無く、週末の昆虫採集は早々に切り上げ
夜の飲み会に備えましたが、懐かしい仲間につい痛飲してしまいました。

2011/08/14

立ち寄り湯「宮城・追分温泉“一軒宿”」



一昨日は、石巻まで足を伸ばしたついでに、追分温泉の“峠の湯”に立ち寄りますが、
改めて大津波の余波が続いている事を思い知らされました。
 石巻市の中心部を越えて北上し、飯野川橋から堤防沿いの道を北上川河口方面に
向かいますが、キレイだった葦原は湿地帯と化し、地面がむき出しとなった場所には、
様々なゴミが散乱しております。
 そして、橋浦の集落の入口にある神社では、鳥居が真っ二つに折れ、石碑も上部が
欠けておりました。 人の住めなくなった家もあちこちに見られ、川を逆流した津波は
この場所でも堤防を乗り越えたようです。
 気を取り直して追分温泉に辿り着きますが、このお宿でも被災者を受け入れており、
今回は日帰りお膳と休憩はなく、お湯のみの提供ということでした。

【峠道にある一軒宿“追分温泉”】
昔はランプの宿だったという“追分温泉”ですが、その名残りが今でもほんのりと
漂っており、室内に入ると木のぬくもりに癒されます。
 そして、風呂は珍しいカヤの巨木を使った浴槽で、樹齢約500年という重厚さに
包まれる心地良さはたまりません。
大きな浴槽に入った後は、やや温めの小さな浴槽でのんびりさせて貰いました。
 このお宿の売りは、カヤの浴槽と新鮮な三陸の魚介類ですが、今はその魚介類が
入ってこない為に開店休業の状態で、年内に料理が再開出来ればとのお話でした。
とにかく一日も早く、あの活気あふれるお宿と従業員に戻って欲しいものです。

こちらは昨年2月始め、ブログを立ち上げて間もない、雪景色の「追分温泉」です。
http://blogs.yahoo.co.jp/hitounimegumare/8672763.html

2011/08/13

湯めぐり雑感「公衆浴場」



全国を湯めぐりする中で、毎回お世話になるのがこの「公衆浴場」です。
 「公衆浴場」「共同浴場」「温泉銭湯」などなど、呼び方は様々ですが、
要は地元の人たちの「共同湯」で、値段が安いのが特徴です。
 そして、値段が安い方が本物の温泉だと思わせるぐらい、素晴らしい
温泉も多く、最後は「無料の湯」「寸志の湯」に辿り着きます。

【発見、これぞ公衆浴場!】
九州は球磨川温泉郷の中で、町中は温泉銭湯だらけというここ人吉温泉
でしたが、駅前の案内所のパンフレットを見て名前と建物で決めたのが、
「元湯」の次に訪れた「鶴亀温泉公衆浴場」でした。
 本当は、近くまで来ているはずなのに看板も無く、地元の人にお聞きして
も何故か要領を得ません。
三人目でやっと辿り着きましたが、銭湯だらけでは珍しくないのでしょうね。
 70年前に地元のお医者さんが建てたという、何ともクラシックな外観、
室内は更にクラシックな看板だらけ、そして番台に座るのは御年89歳の
お婆ちゃんと、歴史と文化と根性の三点セットでした。

【求む、これぞ別府の湯!】
もういくつ寝ると別府の湯と鼻歌が出るくらい、「九州の湯めぐり」が近づき
ましたが、今回のメインテーマは「別府八湯!、完全制覇!」です。
 次が、東北の温泉バカが選んだ八湯ですが、これぞおススメの温泉が
あれば、是非ともアドバイスいただければ幸いです。

(1) 観海寺温泉「いちのいで会館」…食事客のみ入浴可
(2) 別府温泉「竹瓦温泉」か「天空湯房 清海荘」…お天気次第
(3) 明礬温泉「明礬 湯の里」…露天風呂を満喫
(4) 亀川温泉は、共同湯「四の湯温泉」か「浜田温泉」
(5) 浜崎温泉「茶房たかさきの湯」…喫茶を利用した客のみ入浴可
(6) 堀田温泉「夢幻の里」…土日、祝日のみ営業
(7) 柴石温泉は、山中にある市営の共同浴場
(8) 鉄輪温泉「おやど 湯の丘」…今回選んだ宿泊の宿         以上