みちのく仙台発!!、名湯秘湯、バードウォッチング、自然観察!!、備忘録
昨日の仙台は6日振りの晴れ間で、いそいそと青葉山に鳥見に出かけましたが、
残念ながらお相手をしてくれたのは「はくせきれい」の親子だけでした。
その後、ガックリしながら長沼の蓮を眺め、旧追廻住宅の跡地を歩いていると、
「ヒメジョオン(姫女苑)」の雑草畑に、裏地の真っ黒い蝶が一頭います。
タテハチョウの仲間で、クジャクの飾り羽のような大きな目玉模様(眼状紋)を
持つ、大好きな「クジャクチョウ(孔雀蝶)」でした。
そしてご覧の通り、翅は傷一つない綺麗な子で、鳥に代わって遊んでくれました。
【ハルジオン(春紫苑)】 ピンク色
北アメリカ原産の多年草で、大正時代に観賞用に輸入したものが野生化した。
ヒメジョオンに良く似ているが、街中では淡いピンク色のこの花を見かけることが
多く、花の時期もハルジオンの方が早い。
つぼみの頃は、花はうつむいている。
茎は中空で、茎から出る葉は、つけねが茎を抱くようについている。
【ヒメジョオン(姫女苑)】 白 色
ハルジオンより一足早く、明治時代に帰化した北アメリカ原産の多年草である。
はじめは街中に生えていたが、ハルジオンに追われて、現在は郊外に多い。
頭花は白く、つぼみはうつむかない。
茎につく葉が茎を抱かないなどの点で、ハルジオンと見分けられる。
また、茎を折ると白い髄がつまっていることも特徴である。
山野草の紹介は、5/22「ハルジオン(春紫苑)とべニシジミ」の転載記事です。
今日のというタイトルですが、仙台は昨日まで連続5日間の雨降り!!
このスナップは先週22日(水)に、広瀬橋と千代大橋の間にある「じゃぶじゃぶ池」
で眺めていた光景でした。
「いわつばめ(岩燕)」は、その名の通り山地の岩壁などに営巣しますが、ビルの
壁面や橋げたなどを崖に見立てて、仙台市街地にも進出しております。
この子たちには、ダニが寄生していることがあり、ホテルや病院では嫌われますが、
ここは広瀬川の河畔では、遠方から訪れてくれたので温かく見守りましょう。
でも、早く渡来した子たちは前年に残した巣を使って二回繁殖できますが、遅れると
巣の新築に時間がかかり、一回繁殖出来るかも不明とのことです。
【「いわつばめ(岩燕)」ご夫婦との会話】
「忙しそうだネ~!!」
「そうね!、あと3~4日はかかるわね。」
「こちらに着いたら、去年の家がすべて壊れていたんだよね。」
「だから、もっと早く出発しようと言ったでしょ!!」
「本当に、グズでドジで呑兵衛なんだから!!」
「仕方がないだろ、こっちにも予定があったんだから!!」
「何言ってんのよ、行きつけの飲み屋の娘でしょ。」 (キツイ断定形)
「んっ!」 (ドキッ!心臓の音)
「仕方ないだろ!、新幹線は止まるし、仙台空港は閉鎖だったし!!」
「んっ?」 (オヤジの素直な疑問符)
「へっ!」 (バカにした妻のため息)
仙台空港は、7月25日から定期便の再開が決まりました。(良かった!良かった!)
地元紙「河北新報」でも大きくカラ―で取り上げられた嬉しいニュースですが、
全国版のブログでもありますので、改めてご紹介いたしましょう。
「平泉の文化遺産」が、パリで開催中のユネスコ第35回世界遺産委員会で、
「文化遺産」としての登録が決まりました。
東北地方では、1993年に「白神山地」{青森、秋田両県)が自然遺産に登録
されていますが、文化遺産としては初登録となります。
ここ岩手県平泉町は、今年の2月11日に歴史の旅「奥州藤原三代と黄金郷」
として登場させましたが、今の東北にはありがたい明るいニュースです。
今日は、前回掲載していない2つの写真を添付して、改めて世界遺産登録を
祝福したいと思います。 (写真は今年1月23日訪問の際に撮影)
【上の写真、中尊寺の経蔵】
歴史を感じる建物ですが、実は創建時の古材を用いて再建されたもので、
堂内には平安時代の彩色文様が確認できます。
なお、ここにあった経典類は、金色堂のお隣にある宝物館「讃衛蔵」に
安置・収蔵されています。
歴史のある建物の再建に、そういう配慮がなされるとしっくりしますよね。
【下の写真、金色堂旧覆堂】
正応元年(1288)の棟札より、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ、
覆堂が建てられたと考えられてきました。
近年の調査では、金色堂建立後50年ほどで、簡素な覆屋根がかけられ、
増改築を経て室町時代中期(十六世紀)に現在の形となったようです。
この写真は旧の覆堂で、昭和38年(1963)、現在の新覆堂の建築に
ともない、この場所に移築されました。
建物の左端に立っておられる方は、かの有名な松尾芭蕉さんです。
(「五月雨の 降残してや 光堂」 仙台の今は雨ジャブジャブです!)
なお、前の写真や掲載記事(歴史秘話)をご覧になりたい方はこちら!!
http://blogs.yahoo.co.jp/hitounimegumare/22318556.html
今日の名湯は、このブログに何度か登場の遠刈田温泉ですが、ここ“源兵衛”は
初披露の旅館で、もちろん源泉かけ流しの湯宿です。
“三治郎”と共に雰囲気の良い旅館ですが、こちらの売りは広くゆったりとした
純和風平屋造りで、客室は僅か11しかありません。
日帰り入浴は、入浴のみ600円、広間での休憩付きが1,000円と良心的です。
その中に男女大浴場と、露天風呂と貸切風呂が一つづつあり、この日は運良く
男湯の方に露天風呂がありました。
せっかくなので、お風呂を全て載せますが、3.4枚目は後日削除いたします。
【青根峩々遠刈田温泉ものがたり】 日本昔ばなし(うなぎとかにの伝説)
蔵王連峰の麓を流れる川には、「三階滝」と「不動滝」とよばれる滝があります。
むかしむかし、その「三階滝」には大きなモクゾウガニが住んでいました。
大ガニは、滝つぼが窮屈になり、近くの「不動滝」の滝つぼに行きました。
でも、そこにはすでに、大ウナギが住んでいたのです。
大ガニは、大ウナギに挑戦状を突きつけ、「不動滝」の滝つぼをかけて戦いを
挑みました。年老いていた大ウナギは、戦いに負け大ガニに体を三つに切られ、
天高く飛ばされてしまいました。
飛ばされたウナギの頭は青根に、胴体は峩々に、尾は遠刈田に落ちました。
それ以来、青根温泉は頭に、峩々温泉は胃腸に、遠刈田温泉は足腰に効く湯
が湧き出るようになったそうです。
(おしまい)
今日は週末の里山暮らしの土曜日ですが、外は週間天気予報通りのドンヨリ曇り空!!
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様です。
午後からはある会合があり、また夕方からは高校時代の同窓会の予定もあるので、
午前中はデスクに向かい、先週末の里山暮らしで見つけた、可愛い「ニホンミツバチ」
の巣をご紹介いたしましょう。
【昆虫物語 みなしごハッチ】
私の好きな「ヤッターマン」や「ガッチャマン」でお馴染の製作集団“タツノコプロ”!!
もっとも、マンガ好きでないとお馴染ではありませんが、その中の名作(?)の一つが
「昆虫物語 みなしごハッチ」で、1970年(昭和45年)から1989年(平成元年)まで
三度にわたり新作が登場し、最近では「みつばちハッチ」と名前を変えて、劇場版として
2010年にも登場しました。 また色っぽいドロンジョ様も最近実写で出てきましたね。
さて、昆虫物語の内容は単純明快で、「母を訪ねて三千里」の蜜蜂バージョンでした。
【ミツバチの生態1、「分蜂」とは】
日本ではニホンミツバチ、セイヨウミツバチの2種が飼育(養蜂)され、蜂蜜の採取が
行われていますが、ニホンミツバチの場合は野生集団を捕獲して飼育されており、
伝統的な手法が主であるため蜂蜜の流通量も少ないようです。
そのニホンミツバチが裏山のコナラの洞(うろ)に巣作りをしており、近づいて耳を
澄ますとハチの凄い羽音が聞こえてきます。
この子たちの世界は、新たな女王蜂が誕生した巣では「分蜂(ぶんぽう)」が起こり、
女王バチは働きバチを引き連れて巣を出て、このように新しい巣をつくります。
【ミツバチの生態2、「蜂球」とは】
ミツバチの天敵は体の大きなオオスズメバチやキイロスズメバチですが、この里山でも
大きな顔をして、わがもの顔に飛び交っております。
それに対する対抗手段は、巣に侵入したスズメバチを大勢のミツバチが取り囲み、
「蜂球(ほうきゅう)」と呼ばれる塊をつくり、蜂球の中で約20分間の間に48℃前後の
熱を発生させるそうです。
囲まれたスズメバチは上限致死温度が44~46℃のため、耐えきれずに死にますが、
ミツバチの上限致死温度は48~50℃のため死ぬことはないそうです。
なお、セイヨウミツバチにその技は無いようで、ここにも日本産の優秀さがありました。
そんな愛らしい「ニホンミツバチ」の下の写真は、圧縮を少しだけ緩めにしております。
宮城県川崎町の公衆浴場「じゃっぽの湯」は、青根の湯を満喫できる100%天然の、
湯量豊富な源泉かけ流しの湯です。
営業時間は、午前6時半から午後の9時半までで、上の写真の通り、何時訪れても
駐車場は満杯と言う、地元の人々に大人気の公衆浴場です。
何度訪れても、浴室にカメラを持ち込めませんでしたが、今週月曜日は泊まりだった
ので、朝一番に飛び込んで行きましたが、すでに男湯には先客が5人もいました。
【“ふだん着の温泉”の神髄は】
仙台藩伊達家の御殿湯として、450年を越える伝統と文化の温泉街に、2006年春に
装いも新たにオープンしたのが、ここ「じゃっぽの湯」です。
「じゃつぽ」とは、この地域の古くからの言葉でお風呂を指しますが、15人も入れば
満杯となるこじんまりとした浴室です。
料金は大人300円・子ども150円と、ここまでは普通ですが、のんびりと一日何回
でも楽しめる「一日入浴券」が500円、「一ヶ月の定期券」が3000円と素敵です。
はやりの露天風呂も飲食所も無い質素な造りですが、温かいぬくもりのある浴場です。
【“ふだん着の温泉”の放送は】
一番新しいNHK“ふだん着の温泉”の放映は、2010年12月11日でしたが、そこに
登場する温泉がここで、次の様なご夫婦の物語でした。
スーパーの営業マンとして忙しい毎日を送り、17回の転勤の末にたどり着いたのが、
温泉街から車で10分ほどの温泉付き別荘地でした。
最初は自宅の温泉を楽しんでいましたが、広い湯船とお湯仲間との会話を楽しみに、
今では毎日ご夫婦一緒に、町の共同浴場に通っているようです。
ご主人の新しい趣味や、奥さんの「青根洋館」でのお手伝いなども紹介されました。
「影を慕いて」といえば、古賀政男作詞・作曲の昭和歌謡で、昭和7年(1932年)3月に
藤山一郎の楽曲として発売されヒットした名曲です。
まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦がれつつ 忍び泣く
何とも切ない詩で、古賀政男の人生の苦悩・絶望の中での叫びが込められていますが、
この曲には青根温泉そして不忘閣が深く関わっており、今日は雨の朝そんなお話です。
写真は、温泉街の青根洋館(古賀政男記念館)」と近くの森の「影を慕いて」の歌碑です。
【古賀政男の生きていた時代(前編)】
時代は昭和初期、モダニズムの翳ともいうべき暗い世相が蔓延していた頃のことです。
古賀は己のロマンチシズムが崩壊し、その絶望から青根温泉で自殺を図りました。
宿泊先の不忘閣の番頭さんの機転で、一命を取りとめたのが昭和3年夏の事でした。
その時に蔵王にかかった夕焼けを見て、「影を慕いて」の一片の詩が浮かんだと言われ
ており、翌年の明大マンドリン倶楽部の定期演奏会でギター合奏曲として発表されます。
そして翌々年、日本ビクターから発売されましたが、レコードはあまり売れませんでした。
【古賀政男の生きていた時代(後編)】
この曲が一世を風靡するには、藤山一郎(声楽家・増永丈夫)の登場を待つこととなり、
昭和7年(1932年)3月、日本コロンビアから改めて藤山一郎の歌唱によって発売され、
満州事変、五・十五事件など暗い世相を背景に人々の心をとらえ流行しました。
まさに昭和という時代の「翳」を象徴していた歌ですが、その後も、美空ひばりや
森進一など多くの歌手によって歌われ、それぞれが曲の哀愁・感傷(センチメンタリズム)
を個性的に表現してきました。
先週末は二週間ぶりの週末の里山暮らしで、まずは「ノアザミ」のお花畑に集まって来る、
「クロアゲハ」をご紹介しました。
実は、一番多かったのが「ウラギンヒョウモン」でしたが、このままお蔵入りにしておくと、
時期外れになりますので、この子たちもご紹介いたしましょう。
ヒョウモンチョウの仲間たちは、よく似た種類がたくさんいて見分けにくいですが、翅の
裏面の模様で、ある程度の見当がつきます。
【ウラギンヒョウモン(裏銀豹紋)、タテハチョウ科】
大きさは27~36mmで全国的に分布し、時期はこの6月と9~10月の2回です。
山麓や明るい草原で多く見られるヒョウモンチョウで、後翅の裏面には白紋が多く、他の
ヒョウモン類に比べると白っぽく見えるのが特徴です。 幼虫の食草はスミレ類です。
6月頃あらわれますが、真夏には一度姿を消し(夏眠している?)、9月頃再び活動します。
「ノアザミ」も今が最盛期なので、この子たちも今週末が第一回目の見納めでしょうか。
「日本秘湯を守る会」のスタンプ帳も今回7冊目が満杯となり、無料招待のお宿は
地元の青根温泉「不忘閣」にして、20.21日二日間は、二人で一人分の料金の
温泉巡りを楽しんでまいりました。
ご存知の方も多いのですが、このスタンプ帳は本人に限り、3年間で10個の
認印を完成させると、その中のお宿から一泊ご招待となるものです。
今回で妻のスタンプ帳も満杯となりましたので、次は新野地温泉に行こうかな!!
【みちのく青根温泉】 川崎町の看板を転記
青根温泉は東北の名峰蔵王の麓にある (海抜600米)
夏の避暑登山、秋の紅葉、冬のスキー、と四季を問わずその風光は湯の町青根
として著名である。
特に仙台伊達藩主の「御殿湯」として、青根御殿が造築されていたことは、旧
伊達領では唯一のものであり、この温泉は川崎領主・砂金氏の家臣、佐藤掃部
(現不忘閣佐藤仁右エ門先祖)が青根に移住し、掃部の二子、佐藤彦惣が湯槽
を設け、入浴に供したと言われる天文15年(1546年)のことである。
これらの実録をひもとくにふさわしい資料が不忘閣に安置されているが、
伊達一門と「樅の木は残った」でしられる原田甲斐の観光遺跡を心ゆくまで
楽しんでもらいたいものである。
(文章内にいくつか(?)が付くが、いつ作成されたものかも記載が無い!)
この温泉旅館は前にも登場させており、細かい説明はすべて割愛いたしますが、
最後が「青根御殿」の夜景で、二枚目(削除)の大湯の後ろに見えた建物です。
毎年5月に開催される、仙台の春の風物詩「仙台・青葉まつり」は、東日本大震災の影響
を受け中止となりましたが、あの笛や太鼓のお囃子が街に戻ってきました。
春の「青葉まつり」で演じている、“仙台すずめ踊り”を愛する祭連(130団体)や、多くの
市民から踊りの再開を望む声が多く、急遽6/18~19市民広場ステージと一番町通り、
中央通りの3ヶ所を会場として、約70団体の踊りが披露されました。
上の写真は「おきらく赤鞘組」、下の写真は「柳生子ども祭連」のスナップ写真ですが、
みんな笑顔がキラキラな健康美人ですね。
【青葉まつりの由来と概要】
江戸時代の仙台藩の祭りといえば、仙台祭りがありました。
この祭りは承応4年(1655年)に始まり、毎年9月17日に行われた東照宮のお祭りで、
最大70基の山鉾が城下を練り歩くなど、藩をあげて行われておりました。
明治時代になると、これにかわって伊達政宗を祀って明治7年に出来た、青葉神社の
祭礼“青葉まつり”が盛んになりました。
現在の祭りは伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年に、長年途絶えていた“青葉
まつり”が復活したもので、今では仙台の春のお祭りとして定着しています。
【すずめ踊りの由来と概要】
仙台のすずめ踊りは、慶長8年(1603年)、仙台城の新築移転の儀式の宴席において、
泉州・堺から来ていた石工たちが、即興で披露した踊りが始まりと言われています。
西国らしい小気味のよいテンポ、躍動感あふれる身ぶり、はね踊る姿が餌を啄ばむ雀
の姿に似ていることから“すずめ踊り”と名付けられ、長く伝えられることになりました。
仙台・青葉まつりでは、途絶えかけた伝統を守るため、伝承者の指示を仰いで復元を
図り、昭和62年から普及に力を注いできたようです。
上下どちらの祭連も、踊り手の衣装は、当時の石工の姿を今風にアレンジしたものです。
昨日は二週間ぶりの週末の里山暮らしで、まずは「ノアザミ」のお花畑に集まって来る、
蝶たちを追いかけ戯れました。
一番多かったのが「ウラギンヒョウモン」でしたが、「クロアゲハ」も2頭ご挨拶に来て
くれましたので、大きい方からご紹介いたしましょう。
【クロアゲハ(黒揚羽)、アゲハチョウ科】
成虫の前翅長は45~70mmほど、翅の表裏ともに黒色で、裏面には後翅外縁には
赤い斑点が並んでおります。
オスには後翅前縁に白い帯が見られますが、この帯は時間と共に黄色味をおびます。
春型は夏型よりも小型で、赤斑が発達し、色も濃い黒色をしているようです。
4月から8月頃まで年に2~4回発生しますが、ジャコウアゲハやオナガアゲハ、
カラスアゲハなどと比べて尾状突起が短いのが特徴です。
【昨日は久しぶりに庭の選定作業】
ブログの材料も仕込みましたので、「ノアザミ」の花畑の周辺整備、そして花期を終えた
庭のツツジの選定作業で汗をかきました。
昨日は久々のフルメンバーで、1人は収穫した「にんにく」の仕上げ作業、残る4人は
O邸周辺の雑草刈り等でしたが、だいぶキレイになりました。
食後は、今回の大地震で通水がとまり、その復旧作業をしていた折に見つけたという、
「ニホンミツバチ」の巣を見に行きましたが、そちらは改めてご紹介いたしましょう。
昨日の野鳥は、今年も広瀬川に「公園デビュー」ならぬ「堤防デビュー」をはたした、
「はくせいきれい(白鶺鴒)」の子どもたちです。
郡山堰の堤防の縁の土台部にお休み中の一羽、少し先のコンクリートブロックで、
親鳥を追いかけている一羽の合計二羽が確認できました。
さて、ここにいた成鳥は「せぐろせきれい」と「はくせきれい」の2種でしたが、目に
明瞭な過眼線があるのが「はくせきれい」、そして顔が黒く白く太い眉斑があるのが
「せぐろせきれい」ですが、チョット見では分かりづらいのがこの子たちです。
のんびり眺めていると、「はくせきれい」の親が「せぐろせきれい」を追い払うような
行動を見せていましたので、その子と言う事が分かりましたが、何とも嬉しい事に、
堤防の縁の子がこちら側に少しづつ上ってきてくれます。
これはラッキーということで、昨日はトリミングなしで遊ばせてもらいましたので、
ピッピの可愛らしさをメインとして、おやじの下手な作文は無しといたします。
一昨日は、9時過ぎから空も明るくなってきましたので、遅いスタートでしたが、
大橋から花壇自動車学校前、そして評定河原というコースを廻ってみました。
花壇の「ハヤブサ三兄弟」は巣立ちを済ませたようで、母鳥が一度見回りに
来ただけで、周辺にその姿は見つけられませんでした。
評定河原から一般道に戻り、東北大学片平キャンパスの脇を歩いていると、
「おなが(尾長)」の甲高い声に、ついキャンパス内に誘われますが、ここは、
一年を通して20羽ほどが暮らしている、この子たちの住いでもあります。
今日は高い杉の木とメタセコイアの木に陣取り、「はしぶとがらす(嘴太烏)」
との戦いの真っ最中でした。 「おなが」もカラスの仲間なので凄い声ですね。
【実況放送:尾長一家と嘴太一家のバトル】
「いや~!、解説の出歯亀Kenさん、今日のバトルは凄いですネ~!!」
「確かに尾長が10羽に、嘴太烏が4羽!、でも数の差は大きいですね。」
「そして、尾長は小さい割に、カラスに飛びかかってゆきますよね。」
「口に巣材を咥えている子もいましたので、巣を守っているのでしょうね。」
「あっ!又、誰かに似たカラスがちょっかいをかけてきました。」
「それを、尾長が2羽、追撃ですネ~!!」
「でも、さっきからヒヨドリ2羽が騒いでいます、どちらの味方でしょうか!!」
「彼らは、今の政治家と同様、無節操なのでどちらでも良いのでしょうね。」
「何か、鳥のバトルにも、今の日本の政治空白を感じますネ~!!」
「そうこうしているうちに、おや!、だいぶ静かになりましたね。」
「あれ~!!、今度は我々に向かってくるのでしょうか!!」
「じゃあ、そろそろこちらも退散しましょうかネ!」 (おしまい)