fc2ブログ
2011/05/31

日本秘湯を守る会とMyブログに思うこと



昨2010年1月に、ボランティア団体「仙台シニアネットクラブ」が継続して開催している
「デジカメ&情報発信講座」を受講し、その2日目にブログを立ち上げてから約一年半、
皆々様のお陰で訪問者数も、30,000名に限りなく近づいてきました。
 最初は真っ白な表紙も、今ではだいぶカラフルになり、何処が似ているのか(?)と
言われそうなアバターも、たまには着替える余裕も生まれてきました。

さて、今日は東北の温泉バカが、別名「湯あたり 伍呂兵衛」に変身するキッカケとなった
「日本秘湯を守る会」について触れてみましょう。
 掲載している二つのお宿は、ブログを立ち上げて間もない3月に訪れた会員のお宿で、
上は山形・銀山温泉の「能登屋旅館」、下は鹿児島・妙見温泉の「おりはし旅館」です。
わずか一週間の差とは思えない季節感で、日本も実に広いんですよね。

「秘湯」という造語を授かってこの会が産声を上げたのが昭和50年、当時は30数軒の
お宿が、今では200軒ほどになりましたが、設立の趣旨は崩れておりません。
何よりも、ハズレがほとんど無い温泉宿として、大いに利用させていただいております。
 そして、ブログの話に戻りますが、「おりはし旅館」にコメントいただいたのが
“一人歩きの山女さん”、「能登屋旅館」にコメントいただいたのが“ハーベストさん”と
“はなゴンさん”でした。 それから1年以上のお付き合い真にありがとうございます。

なお、「名湯秘湯編」はMyブログの柱として、今後も精力的に湯あたりしてまいります。

2011/05/30

今日のオオヨシキリは若葉マーク(?)



前々回の記事「ほおあか」の続きになります。 千代大橋に近づくと「オオヨシキリ」
の鳴き声が一段と大きくなりますが、ご覧の様な若葉の中にチョロチョロしている子
は鳴き方が少し変です。

「ギョッ!」か、時々は「ギョギョッ!」としか鳴かず、また、葦の茎のてっぺんに上り
自己主張することもなく、「行々子」らしくありません。

人を恐れない若鳥の様な雰囲気もあり、若葉の茂みに二羽の姿を見つけましたが、
みずみずしい若葉同様に「若葉マークの子」なのでしょうか(?)
それとも、すでにカップルが成立済みで、鳴く必要がなくなったのかな!(どっち?)

2011/05/29

奥武士日誌「ウツギとウスバシロチョウ」



仙台は昨日も今日も雨、そんな天気予報でしたので、26日は久々に奥武士に行きました。
 お久しぶりの「奥武士日誌」ですが、その数日前に秋保温泉で見た「ウスバシロチョウ」!!
これが今回のお目当てでした。
 朝、太白山の佐保山林道での「さんこうちょう」との追いかけっこは私の負けでしたが、
ここでは「ウスバシロチョウ(薄羽白蝶)」が被写体になってくれました。

【奥武士橋の袂に飛翔する蝶たち】
ピンク色の「タニウツギ(谷空木)」と白色の「ミツパウツギ(三葉空木)」が、奥武士橋周辺に
花を咲かせる頃、どこからともなく「ウスバシロチョウ」が現れます。
 ここで眺める蝶たちは実に優雅で、この日も5頭の蝶たちがヒラヒラというか、フラフラと
飛び交っており、この時期のささやかな楽しみのひとつです。
でも、こういう光景が見られるのは、陽が射して花々が蜜を出す時だけなんですよね。

【ウスバシロチョウ(薄羽白蝶)の特徴】
国内では北海道から本州、四国にかけて見かけますが、北方系の蝶なので、西南日本では
分布が限られているようです。
 翅は半透明で白く、黒い斑紋があり、体毛は黄色く細かいのが特徴です。
年一回、5~6月頃(寒冷地では7~8月頃)に発生しますが、幼虫の食草はケシ科の植物の
「ムラサキケマン」や「ヤマエンゴサク」などで、やはり食べ物もお上品でした。

2011/05/26

秋保温泉の自然公園で見る花たち



ここ秋保温泉の天守閣自然公園は、時間に余裕がある時、公園の散策・日帰り入浴、
そして昼食のソバやイタリアンと、3点セットで楽しめる場所ですが、今日の記事は
名画「幸せの黄色いハンカチ」ならぬ、「幸せの黄色いハナタチ」で纏めてみましょう。

まずはこの花(?)、これは公園が開く前に、お隣の民家の庭で撮ったものですが、
何と言う花なのでしょうね。 ご存知の方がおられたら是非教えて下さい。
 今が盛りのフジの花にそっくりですが、ツルではなく支えはありますが花木です。
そして、鮮やかな黄色というのは初めて見る花でした。

次にこの花は、公園の中で一番隅っこの日陰に咲いていた「ニッコウキスゲ」です。
 初夏の朝に開いて夕方には萎んでしまう一日花で、やや湿った高原に群生します。
去年行った、青森の「黄金崎ふ老不死温泉」の海岸線にも咲いておりました。
 日光周辺に名所があることから「ニッコウ」の名がついたそうですが、「ゼンテイカ
(禅庭花)」という別名もあるようで、こちらは拝むとご利益がありそうです。

【追記 : hanazukiさん、エルモさん、nadeshikoさん、そして大勢の皆様に感謝】
正解は「キングサリ(金鎖)」マメ科、別名:ゴールデン・チェーン、キバナフジ

ヨーロッパ中南部原産の落葉性小高木で、5月~6月頃に2㎝ほどの大きさの蝶に似た
形の花を房状に付けます。 花は枝から下に向かってぶら下がるように咲き、ぱっと見
は「黄色い藤」といった感じです。
 ヨーロッパでは一般的に見られる花木で大木に育つそうです。キングサリには全体に
アルカロイドが含まれている有毒植物で、中国名では毒豆と書くそうです。

2011/05/25

広瀬川で暮らす愛らしい住人たち



昨日は青葉山で暮らす「ニホンリス」を紹介しましたので、今日は広瀬川の「カエル」です。
 広瀬川河畔の散策コース、大橋~評定河原橋~霊屋橋~縛り地蔵尊には、寄州に
自然の緑や玉砂利、砂地などが残る、昔ながらの河原の風景が見られます。
 ここは、広瀬川が大きく蛇行を繰り返す場所で、片側が急峻な崖になっており、そこに
「ヤマフジ」が咲く頃、夏の風物詩「カジカガエル(河鹿蛙)」が一斉に鳴きだします。

【カジカガエル(河鹿蛙)と人間との関係】
この子たちは、鳴き声から和歌の題材になったり、また美声で唄う者を「河鹿」と呼んで
称える事もあったそうですが、そこまでの話にはついて行けません。
 又、ペットとして飼育される事もあったようで、江戸時代には専用のカゴ(河鹿籠)で
飼育されていたそうです。

【カジカガエル(河鹿蛙)の生態について】
ご覧の通り、指先の吸盤が発達しており、オスは水辺にある石の上などに縄張りをつくり、
この時期に繁殖音を奏でております。
 和名の「河鹿」はこの鳴き声が雄鹿に似ている事が由来のようで、4~8月には水中に
ある石の下などに約500個ほどの卵を産みつけ、卵は2週間ほどで孵化するそうです。

この場所も、いつまでも杜の都に残しておきたい、生きものたちの楽園のひとつですね。

2011/05/22

花と蝶「春紫苑とべニシジミ」



昨日は、広瀬川河畔の夏鳥「おおよしきり」をご覧いただきましたが、遊歩道の両側
にはハルジオン(春紫苑)が咲き誇り、小さなシジミ蝶たちが飛び交っておりました。
でも、今当たり前に見ているこの花が、帰化植物だったとは意外ですよね。

【ハルジオン(春紫苑)】  ピンク色
北アメリカ原産の多年草で、大正時代に観賞用に輸入したものが野生化した。
 ヒメジョオンに良く似ているが、街中では淡いピンク色のこの花を見かけることが
多く、花の時期もハルジオンの方が早い。
 つぼみの頃は、花はうつむいている。
茎は中空で、茎から出る葉は、つけねが茎を抱くようについている。

【ヒメジョオン(姫女苑)】  白 色
ハルジオンより一足早く、明治時代に帰化した北アメリカ原産の多年草である。
 はじめは街中に生えていたが、ハルジオンに追われて、現在は郊外に多い。
頭花は白く、つぼみはうつむかない。
茎につく葉が茎を抱かないなどの点で、ハルジオンと見分けられる。
また、茎を折ると白い髄がつまっていることも特徴である。

植物の世界も、我々人間たちの知らないところで、戦っているんですネ~!!

2011/05/21

今日の夏鳥「三波晴夫でございます」



春から初夏にかけ広瀬川を歩くと、「利根の、利根の川風よしきりの~!」の歌詞が
思い浮かびますが、それはこの鳥「おおよしきり(大葦切)」の所為です。
 五月になると南方から渡ってきて、水辺の葦原で「ギョギョシ!、ギョギョシ!」と
けたたましく鳴くので、別名「行々子」とも書かれます。
 冒頭の歌詞は、今では“超ナツメロ”に分類される「大利根無常」の出だしですが、
昨日は、広瀬橋から六本松緑地まで歩きましたので、この子たちが賑やかでした。

【大利根無常】       昭和34年、 三波晴夫

(第一節の歌詞)
利根の 利根の川風よしきりの
声が冷たく身をせめる
これが浮世か
見てはいけない 西空見れば
江戸へ 江戸へひと刷毛(はけ)
あかね雲

(第二節せりふ)
止めて下さるな妙心殿!!
落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、
男の散りぎわだけは知って居り申す。
行かねばならぬ。 そこをどいて下され、
行かねばならぬのだ~!!

【実在の物語かな】
幕末の頃、お玉が池の千葉道場で五本の指に入ると言われた平手(ひらて)酒造(みき)が、
博徒の大親分、笹川繁蔵の用心棒に身を落とします。
そして、飯岡助五郎との縄張り争いの、「大利根川原の決闘」で討ち死にしています。
昔々、浪曲や歌謡曲、芝居や映画で大ヒットしましたが、今は話題にも出なくなりましたネ!!

2011/05/20

立ち寄り湯「宮城・松島温泉“ホテル海風土”」



一昨日は4ヶ月ぶりの石巻訪問でしたが、その帰り道に松島海岸に近づいたところで、
「海風土、日帰り入浴500円」の看板を見つけます。
 松島周辺の温泉旅館・ホテルは、従来どちらも「日帰り入浴」は受け付けておらず、
日中は予約制の「食事付き入浴」がほとんどでした。
 今回の被災地復興支援として、地元の温泉を開放している例は多いですが、松島の
こちらのホテルも、この機会にご賞味させていただくことにしました。

【“ホテル海風土”(うぶど)の意味は】
ホテルのパンフレットには色々書いてありますが、要は、パリ島の田園リゾートUBUD
(ウブドゥ)をもじったもので、建物もご覧の通りの南国ムードです。
 ここは、松島の中では洒落た雰囲気を醸し出している温泉ホテルで、客室全26室は
すべて眺望が海となっているようです。
 しかも東北では珍しく、露天風呂付き客室が8、展望露天風呂付きが2、南国情緒の
バス付き(温泉)洋室が6、風呂無し一般客室は10という比率になっており、温泉付き
の料金はややお高いですが、明るい大人の隠れ家的雰囲気が漂います。

今回は、残念ながら男女別の浴場だけですが、屋上展望大浴場は宿泊する機会まで、
楽しみにとっておきましょう。

2011/05/18

伊達政宗公霊屋 桃山様式の「瑞鳳殿」



今まで、復活した伊達政宗の「伊達武将隊」や、支倉常長の「慶長遣欧使節」は登場させ
ておりますが、肝心の政宗公の霊屋(墓所)は、紹介しておりませんでした。
 実は、シーン2.3.4の鳥撮りの場、霊屋橋のすぐ上には、仙台藩祖・政宗公の墓所と、
二代藩主・忠宗公の「感仙殿」、三代藩主・綱宗公の「善応殿」が祀られております。
 そしてここもまた被災の場所で、この大地震で石灯籠はすべて倒れましたが、「瑞鳳殿」
だけはいち早く修復を済ませ公開されております。
 なお、二代藩主・三代藩主の墓所は現在修復中で、8月中には公開予定とのことでした。
又、破損は石灯籠だけで、伊達家三代の霊廟がまったく無傷であったのは何よりでした。

【桃山様式の遺風“瑞鳳殿”】
瑞鳳殿は1636(寛永13)年、70歳で生涯を閉じた政宗公の遺命により、その翌年に、
ここ経ヶ峯(きょうがみね)に造営された霊屋(墓所)です。
 桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として、1931(昭和6)年、国宝に指定
されましたが、1945(昭和20)年の戦災で焼失しました。
 現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものですが、2001(平成13)年には
創建当時への改修が行われ、柱には彫刻獅子頭が、屋根には竜頭瓦が復元しました。

【藩政時代の面影“杉参道”】
石造りの階段は、戦争による焼失を免れた藩政時代からのもので、その数は、伊達家の
禄高(62万石)を表したものと言われております。
 左右にそびえる杉の並木は古いもので樹齢370年余り、仙台藩の歴史を物語る象徴
とも言え、こころは藩政時代へといざなわれます。
 上の写真の、赤い柵から先はほぼ創建当時の姿であり、今、さむらい姿の家臣たち
がお参りに訪れても、何ら違和感を感じない独特の空間がありました。

2011/05/16

シーン4「夢をあきらめないで」



昔々、東北の温泉バカが好きだった歌手に“岡村孝子”がいますが、仙台に戻って
きた「つばめ(燕)」たちに、この歌をエールとして送ります。
特に沿岸部の被災地の皆さまにも、同じ思いが届いて欲しいですね。
 さて、この子たちも大変な被災者で、去年使った家屋は全壊または半壊!、修復
の作業もさぞ骨が折れる事でしょう。
 なお、“岡村孝子”をご存じでないお若い方々には、標記タイトルで検索をすると、
You.Tubeで若い頃の孝子ちゃんが出てきます。

【ツバメたちは東北なまりの巻】

「せっかく故郷に帰ってきたのに、大変だよネ~!!」
「んだでば!!、もうハッチャメッチャで住めね~のっしゃ!!」
「違う所に引っ越すの(?)」
「うんにゃ!、同じ場所でね~ど、やっぱしな~!!」
「近所づぎあいだって、大事だべ~!!」
「じゃあ、大規模補修中なんだ!!」
「あんだらと違って、地震保険もね~し、国の救済もね~しな!!」
「全部自分だぢでやるしか、仕方ねんだでば!!」

「偉いよね~!、でも、世界を股にかけている割には東北訛りだね~!!」
「そりゃ~!、あだり前だっちゃ!!」
「自分の故郷を愛せね~奴って、いるのすか(?)」
「いや、何とも、ご無礼いたしました。」
「分がれば、良いのっしゃ!!」
「じゃあな!、あんだど違って、おらほは忙しいんだでば!!」

サンデ―毎日勤務のおやじ 「えらい!!、つよい!!、あっぱれ!!」

2011/05/15

立ち寄り湯「宮城・遠刈田温泉“ゆと森倶楽部”」



昨日は、蔵王野鳥の森探鳥会ということで、久々に野鳥の会の鳥見に参加しましたが、
遠方にも関わらず、参加者24名と盛況な集まりでした。
 7時から11時までの蔵王山麓の山歩きでしたが、会場から僅か5分の場所にある
“ゆと森倶楽部”を、終了後の立ち寄り湯に選びました。
 以前にご紹介している、作並温泉そして松島温泉の「一の坊」、このグループの中に
遠刈田温泉には二つの宿泊施設があります。
 ひとつがリーズナブルなお値段が売りの“ゆと森倶楽部”、もう一つが18の離れと
4つの貸切風呂が点在する高級旅館“だいこんの花”です。

【自然の中の本当の快適とは】
ここの売りは、蔵王山麓の森の温泉宿で、遠刈田の温泉街からはやや離れています。
 そのため、他の温泉宿では味わえない森林浴や、マイナスイオン浴も同時に楽しめ、
訪れる人を心身ともに解放させてくれるでしょう。
 この日は、鳥見の会が終わる頃になると、突然風が強まり、小雨がぱらついたりと、
何とも妙な天気になりましたので、大好物の露天風呂はパスしました。

【会議・研修も大自然の中で】
ここは、昔々は“蔵王ハイツ”という公共のお宿で、温泉施設にしては珍しい会議室や
セミナールームが備えられております。
 200人規模の立食パーティー会場もあり、企業・団体向けの売り込みをすればと
思いますが、逆にそれで立ち行かなくなったのでしょう。
敷地は、蔵王山麓の中13万㎡に広がるそうで、うまく活用出来たら良いですね~!!

2011/05/14

シーン3「恋人も濡れる街角?」



シリーズ三作目のタイトルを歌った俳優に「中村雅俊」がいますが、彼は宮城県女川
の出身で、今回の被災地支援のため女川と気仙沼にも訪れています。
そして、この歌の作詞作曲が、何と「桑田佳祐」ということを改めて知らされました。
 今日は、作詞とはあまりイメージが重なりませんが、これもまた広瀬川河畔で見た、
「かわらひわ(河原鶸)」のペアをご登場させましょう。

【今日は脱線しないゾ~!の巻】

「水も滴るいい女とは、まさにお前のことだね!」
「うふ~ん、あなただっていい男よ~ん!」
「今朝は、一段と可愛いね!!」
「嬉しい!、あなたにそう言って貰えて!」
「もっと、頑張ってキレイになろう!!」 (ジャブジャブ!)

「ところで、あれから40年の“綾小路きみまろ”に似ているおやじ!」
「そう!、さっきからずっと、あそこで固まってるの!!」
「どうしたのかしら?」
「あの年では恋もヘチマも無く、寂しいんだろうな!!」
「そうね!、きっと、そうよね!」
「私たちには、想像もできない世界で生きているのかも!!」
「う~ん!、そうかもな!!」
「そっとしておいて、私たちはラブラブしましょ!!」
「お前の、そういう切り替えが、可愛いよな~!!」
「もう、いや~ん!!、嬉しい!!」

きみまろ親爺 「くそ~!!、勝手な事言いやがって!!」

2011/05/13

シーン2「これが自慢の恋女房」



今日から数日間は、映画のワンシーンではありませんが、一昨日広瀬川河畔で見られた
野鳥たちの愛らしい姿、珍しい姿をお届けいたしましょう。
 この日はいつもの堆積土砂撤去作業の場所ではなく、河原にメタセコイアの化石群が残る
霊屋橋(おたまやばし)から河原に下りて、「県立工業高校」の横から、お地蔵様を縄で縛って
願掛けをする「縛り地蔵尊」までを歩いてみました。 
ここの遊歩道と寄州は、河原に水たまりや砂利と緑が残された、数少ない貴重な場所です。

【オシドリ君大いに喋るの巻】

「誰や!、わいの恋女房を狙っとる奴は!!」
「な~んや!、おっちゃんやんか!」
「どや!、可愛いやろ!」
「良く見つけたなって(?)」
「この数ヶ月、どえりゃ~本気になって探したで~!!」
「実は地震の時、この娘から飛びついてきたんや!!」
「んっ!、ただ怖かっただけやって(?)」
「ちゃうちゃう!、これもきっかけや!」 「なっ!、そうやろ、お前!」
「なに!、写真を撮らせてくれって(?)」
「良いけど!、嫁半中心にな!!」
「特にキレイに撮ってや!!」
 (はい、ずんだ餅!、仙台はチーズではないの!)
「んっ!、どれどれ!」
「ほんまは、もうちょいキレイやけどな~!!」 「まあ、ええか!!」

あの孤独なオシドリ君も、今回は人が変わったように雄弁でした。       (おしまい!)

2011/05/12

花と蝶「たんぽぽとシータテハ」



先月に続けていた「花と蝶たち」ですが、5月の連休中に「キビタキ」や「オオルリ」と共に
撮ったスナップが「シータテハ」です。
 前回の「ヒオドシチョウ」の記事で、タテハ蝶の仲間で地味な子の代表選手として紹介
しましたが、タンポポと光に助けられると結構見られますよね。

本当に今年の連休は天候に恵まれ、のんびりした3日間を過ごしましたが、野鳥を撮る
ようになって仙台に戻ってからは、動植物を撮る機会が多くなりました。
 特に、同じ飛び物の蝶や羽のある昆虫は、動きがあるため面白い被写体で、ついつい
追いかけ廻してしまいます。