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2011/03/31

ふだん着の温泉「熊本・満願寺(まんがんじ)温泉」



満願寺温泉は杖立川の上流にあたる志津川(満願寺川)の畔に湧く静かな湯治場です。
 川の中に造られた共同温泉場には、「洗い場」と「露天風呂」があり、上の写真のように、
地元の人たちが洗濯をしたり、洗いものをする、昔懐かしい風景が今も残っています。
 この日の洗いものは、お二人とも子供やお孫の靴で、何度覗いても光景が変わらず、
その奥に見える二階建ての明るい建物「温泉館」の内風呂で我慢をしました。

【温泉は地元の人の大きな家族風呂】
どうやら、川沿いのいたるところに温泉が湧いているようで、川底を少し掘るだけで、
自分専用の温泉に浸かることができるようですが、こんなご立派な湯船があれば、
そんな必要はなさそうです。
 前回、この湯船に浸かっていると、「かわせみ」が通り過ぎ、川魚が群れて泳ぎ、
バイカモの緑に白い花が揺らぎ、別世界の心境にこころが踊りました。
ここは、いつもの時間にいつもの顔が集まる、集落の人々の家族風呂のようです。

【静かな湯治場に伝わる歴史と文化】
温泉の入口には、鎌倉時代の文久11年(1274年)の元寇に際し、国土安泰祈願の
ため創立した満願寺がありますが、鎮西奉行北条時定、弟定宗、嫡子隋時(ゆきとき)
のお墓があります。
 また、九州最古の庭園と言われる満願寺庭園があり、その中央部にある心字の池
は、室町時代の初期に造られたものです。
 裏山には、樹齢1000年と言われる、幹回りが12.2m、高さ28mの金毘羅杉が、
ご立派な姿で聳えておりました。

なお、NHK「ふだん着の温泉」の放映日は、2006年10月22日でした。

2011/03/30

今日の秘湯「熊本・奴留湯温泉共同浴場」



壁湯・生竜・宝泉寺・川底と国道387号線をのぼり、ここ大分県と熊本県の県境には、
数多くの温泉が散りばめられております。
 そして大分から熊本に入り間もなく、国道からほんの少し旧道に入った北里の集落
には、なんともご立派な共同浴場「奴留湯温泉」がありました。
 ここは、日本が生んだ世界的な細菌学者で、初代伝染病研究所(現在の東大医科
学研究所)所長・北里柴三郎の生家があった地で、ご実家は大きな庄屋さんでした。

【温泉や旅のガイド本にない秘密のお湯】
この北里の地に、古くから地元の人の手で維持管理されてきた共同浴場ですが、この
建物以外に周囲に旅館などはありません。
 管理人は常駐しておらず、入口の料金箱に大人200円、子ども100円を入れて中
に入ると、硫黄臭を感じる無色透明の湯が浴槽から溢れております。

【泉温38℃と、その名の通りのぬる湯】
本当にその名の通りのぬる湯で、毎年10月から5月までの夕方から夜の時間帯は、
加温されて入浴するようです。
 我々がここを訪れたのは3月5日、ちょっと肌寒かったので、浴室には入りましたが
顔を洗う程度で失礼いたしました。 (すごく良い香りです!!)

2011/03/29

今日の名湯「大分・川底温泉“蛍川荘”」



ここ宝泉寺温泉郷の最奥、初夏にはホタルも乱舞するという町田川の上流部に、
ポツンと建っているのが川底温泉「蛍川荘」です。
 ここも私の大好きな温泉なのですが、経営者の高齢化により、旅館として運営
することが出来なくなり、今は日帰り入浴客のみ受け付けております。

【町田川の川底から湧く絶品のお湯】
川の縁にある建物が下の写真の湯船の部分ですが、河原から湧く源泉の真上
に湯殿が設けられており、すべて石造りの浴室にはお湯が溢れております。
 3つ並ぶ浴槽は、下流に向かって少しづつぬるくなっており、効能もそれぞれ
異なる説明書きが貼られておりました。
 お湯は無色透明で気持ちが良く、浴槽の底には大小の丸い石が敷き詰められ
ていますが、小さな窓から差し込む光に輝いて見えます。
この温泉の良さは、古い建物・浴槽・お湯の溢れる音・光のハーモニーです。

【菅原道真公ゆかりの地“川底温泉”】 (浴室内の説明書き)
延喜元年(西暦901年)八月、菅原道真公が大宰府に左遷されたおり、刺客を
のがれて一時菅原の白雲山浄明寺に身をかくしたことがある。
そのときこの川底温泉を開いたと伝えられている、はなはだ古い温泉場である。
 安政三年(西暦1856年)本村の庄屋、菅原元徳なる者が村の政治から身を
引いて人のため世のためこの温泉開発を思い立ち、現在湯の湧き出る石畳の
浴場をつくり、湯小屋を建て温泉宿として浴客の便をはかるようになってから、
川底温泉として広く世に知られるようになった。

2011/03/28

今日の名湯「大分・宝泉寺温泉“石櫃の湯”」



玖珠川の支流の町田川を遡って行くと、国道387号線沿いに温泉宿が点在しており、
手前から「壁湯温泉」「宝泉寺温泉」、そして最奥に「川底温泉」があります。
 他の温泉が一軒宿の中で、ここだけは十数件の旅館・ホテルがあり、今までは通り
過ぎておりましたが、温泉のシンボルでもある“石櫃の湯”を覗いてみました。

【お店でカギをお借りして入る“石櫃の湯”】
上の写真の通り、温泉街の入口にかかる「太鼓橋」を渡ったところに湧く共同露天風呂
“石櫃の湯”は、何とも有難~い!500円の温泉でした。
 カギを開けて中に入ると、正面に「石櫃」を祀ったお社と、そこから溢れ出る浴槽は、
10人は楽に入れるスペースで、これが何と貸切で500円の湯なんですよね。

【宝泉寺温泉“石櫃の湯”の由来】 (入口の説明書きを転記)
天慶元年(938年)空也上人が、狩人(後の改心和尚)に、殺生の戒めを説き杖を立て
て去った。後にその杖の根元より温泉が湧出されたので和尚がこの地に、一寺を建立し
「宝泉寺」と名付け薬師如来を安置し、人々は深く信仰してまいりました。
境内には湯舟がありそれが寺の宝「石櫃」です。
宝泉寺温泉には、開祖以来、千数十年の歴史の中で今日もこの「石櫃」の浴槽に天然
の恵の温泉があふれ、空也上人をはじめ先人達の遺徳が偲ばれるようです。

2011/03/26

今日の名湯「福岡・二日市温泉“博多湯”」



お風呂に入れない「腹いせ」ではありませんが、「温泉バカのシリーズ」を再開したいと
思います。 皆様にはこの時期不謹慎と思わず、気楽にお付き合い頂ければ幸いです。
 さて、昨日の投稿は最終入湯の由布院温泉でしたが、二日目のスタートはビジネス
ホテルでの朝食後、斜め前にある公衆温泉浴場「博多湯」での朝風呂でした。

【万葉の時代からある九州最古の温泉場】
ここは、大宰府天満宮の南西部に位置し、福岡市中心部から電車で30分足らずという
アクセスにも恵まれた、九州最古の温泉として知られております。
 私の九州の旅の前後泊は、ここ二日市温泉のビジネスホテルを常時利用しており、
高速道路が目の前を通り、福岡空港への高速バス停もあります。
 開湯は1300年前、万葉の歌にも詠まれた由緒ある温泉で、大宰府政庁が置かれ
ていた頃から「吹田の湯」と呼ばれ栄えていたようです。
温泉街には、山上憶良や大伴旅人の歌碑や説明書きが、あちこちに転がっています。

【創業から250年の源泉かけ流しの湯】
この温泉浴場は、創業万延元年(1860年)という長い歴史があり、すぐ向かい側には、
市営の「御前湯」も出来ましたが、源泉かけ流しのこのお湯が大好きです。
 御前湯が200円、こちらは300円とやや高いですが、源泉かけ流しの薄い硫黄臭を
感じ、体を包み込む湯触りを楽しむひと時は最高です。
 下の写真は、9:00オープンと共に飛び込み、周りの方々が服を脱いでいるスキに、
バカ丸出しでカメラに収めたものです。
昔々は、楕円形の小さな浴槽が2~3個ありましたが、今の浴室内はこんな感じです。

2011/03/11

今日の秘湯「大分・赤川温泉“赤川荘”」



旅の三日目はあいにくの雨となりましたが、温泉バカの湯巡りには影響がありませんので、
最終日は予定通り大分の九住高原を目指しました。
 タイトルに初めて“秘湯”の文字を入れた「赤川荘」は、久住山中腹に位置する国立公園
内の特別地域に建つ、九州屈指の秘湯で自家発電の一軒宿です。
 旅館では、懐かしの老犬が出迎えてくれましたが、何処からか「メェ~!」の鳴き声が!!
ワンの隣の大きな籠の中にはブチの子羊がいて、玄関の中にも真っ黒な子羊が、鼻を摺り
寄せて出迎えてくれました。

【白く美しい硫黄冷鉱泉と抜群のロケーション】
ここは久住山を目指す登山客で賑わっていたお宿ですが、昨今の秘湯ブームや美肌効果
が凄いという泉質から、登山客以外にもリピーターが増え、平成10年に全面リニューアル
をした客室7室の可愛らしいお宿です。
 又、下の写真の通り、「雄飛の滝」を眺めながら入る名物の大露天風呂も野趣満点で、
特に新緑と紅葉のシーズンには、例えようのないロケーションが楽しめます。
 露天にも内湯にも浴槽が二つあって、26℃の冷泉と加温した湯の両方が楽しめますが、
冬場は燃料代を節約するため露天は冷泉だけで、今回は写真撮影のみに終わりました。

動物好きで、働き者の美人の女将さんとは、今回も楽しく会話させてもらいました。(感謝!)

2011/03/10

今日の名湯「熊本・黒川温泉“山河旅館”」



黒川温泉の「山河旅館」は、以前に宿泊した「新明館」同様、日本秘湯を守る会の宿で、
こちらは温泉街から約1.6キロ離れた雑木林の中にあります。
 約3,000坪もの敷地がありながら、客室は僅かに15室でその内6室に客室風呂が
ついており、お値段も約18,000円というお手頃価格なので、静かな山里の雰囲気を
味わいたい方は、ここと新明館の別館「山みず木」がおススメです。

【温泉街の喧騒を忘れさせる癒しのお宿】
東北の好きな温泉に、山形の銀山温泉、秋田の乳頭温泉郷がありますが、ここ黒川に
も癒されたい温泉場の原風景があり、そこでは浴衣姿で外湯巡りをしながら、温泉街
をのんびり歩くのが楽しみの一つでした。
 しかし、ここも由布院同様、温泉客よりも観光客が目立つようになり、共同湯を廻った
後は、旅館内の湯船巡りを楽しむことにしました。
 1枚目が正面玄関で、2枚目は玄関を出て左に曲がり、向かって左の建物が囲炉裏、
右奥の二つの建物には家族湯の「切り石風呂」と「檜風呂」があります。 
 さらに奥に進むと、「混浴露天」と「女性用露天」があり、敷地内には客室風呂の他に、
8つのお風呂が散りばめられております。

【黒川温泉の旅館に共通するキーワード】
この温泉郷には、現代人が忘れてしまった「共同体意識」を持った温泉旅館の主人たち
がいて、「日本の里山」「日本の田舎」という空間づくりから始めた凄さがあります。
 創業から僅か50年という若い宿にも、「雑木林だけでなく、建物も風呂も昔からあった
ような雰囲気作りに心がけている」と言うご主人の気持ちが伝わってきました。
こんな気持ちが、この温泉郷のお宿に共通する思いというのは、凄すぎますよね~!!

2011/03/09

今日の名湯「熊本・黒川温泉“穴湯”」



熊本の黒川温泉は、今回の旅のメインのお宿ですが、宿泊する山河旅館に荷物を預け、
お宿のマイクロバスで温泉街まで送ってもらい、共同浴場の湯巡りを楽しみました。
 さて、旅のガイド本などを見ると、田の原川沿いに旅情あふれる旅館や土産物屋が
軒を連ね、浴衣姿の温泉客が湯巡りを楽しむ写真が載っておりますが、今の温泉街は
人ごみに溢れ、しっとりとした昔の雰囲気は味わえなくなりました。
でも、皆さん黒川温泉発祥の地には、足を延ばしたくなるのが心情ですよね。

【黒川温泉の共同浴場「地蔵湯」と「穴湯」】
黒川温泉の元湯として知られる共同浴場「地蔵湯」は、共同駐車場から“いご坂”を
下った“下川端通り”の中央部にあります。
 つくりはこじんまりしていますが、首なし地蔵の伝説にもとづいて湯が湧きだした所
と言われており、古くから地元の人たちに利用されてきた共同浴場です。
 更に、そこから“下川端通り”を下って行くと橋がありますが、橋の袂から見える
可愛らしい建物が、もう一つの共同浴場「穴湯」です。
 「地蔵湯」が男女別で200円、こちら「穴湯」は混浴で100円となっておりますが、
板壁からは木漏れ日も溢れ、なんとも開放的な露天のような雰囲気です。

【またまた日本昔ばなし「地蔵堂の由来」】
昔々、豊後の国の中辻留というところに貧しい塩売りの甚吉とその父が住んでおった。
父は病気で甘瓜だけしか食べれんじゃった。しかしお金は無し悪い事とは分かって
いたが、甚吉は瓜を盗もうと思ったそうな。
 ある日お地蔵様に、自分の商売にしている塩をほんの少しお供えをして、父の病気が
早く良くなる事を願い瓜を盗みに行くことを告げたんじゃ。
 覚悟を決めて瓜畑に入るやいなや地主にすぱっと首をはねられてしもうた。
しかしそこには身代わりになったお地蔵様の首が落ちていたんじゃ。そんなある日、
肥後細川藩の修行者本田勝一郎というものが、肥後の国にこのお地蔵様を持ち帰ろう
として旅の途中、黒川で一休みしていたら「ここに安置してくれ」としゃべりなさった
そうな。村人はお地蔵様の首をまつり大切に守り続けたそうな。
するとある日この地より温泉が湧き出るようになったとさ。  (めでたし!めでたし!)

2011/03/08

今日の名湯「佐賀・嬉野温泉“椎葉の湯”」



武雄温泉同様歴史のある古湯で、「肥後風土記」(713年)に「東の辺に湯の泉ありて能く、
人の病を癒す」と記され、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄えました。
又、お茶の産地としても有名な地で、おだやかな山里の風景を残す愛らしい町です。
 さて、ぬめりのあるお湯は、ナトリウムを含む重曹泉で、角質化した皮膚をなめらかにし、
みずみずしい肌を蘇らせることから、日本三大美肌の湯とも呼ばれております。

【建物の雰囲気が造り出すもの】①
この温泉地には、古くから地元の公衆浴場として親しまれてきた古い洋館がありました。
 しかし、寄る年波には勝てず、利用客の減少や老朽化を理由に1996年に閉鎖し、
大正13年に建てられた「古い洋館」は、川の畔で静かな眠りにつきました。
 それから14年後の2010年4月、地元の強い要望で再建された「シーボルト館」は、
外観こそ昔の姿を再現しておりますが、色合いがやや強く私には馴染めません。
 でも、入口には沢山の車が止められており、男女別の大浴場も5つの貸切風呂も休憩室
も、さぞや大勢の人で賑わっていた事でしょう。

【建物の雰囲気が造り出すもの】②
私たちが温泉街の喧騒を離れ、静けさを求めて向かった先は、大正屋の別館「椎葉山荘」、
その山荘の外湯の大露天風呂が「椎葉の湯」でした。
 最初に外湯の建物、次に山荘、そして露天から内湯、内湯から露天を並べてみましたが、
自然をふんだんに活用した設計は、本家椎葉山荘にもひけをとらない温泉施設で、口煩い
温泉ファンを唸らせるセンスが伺えます。
 外来入浴も9時から21時まで受け付けており、この抜群のロケーションの中の湯船が、
タオル・バスタオル付きで1,000円は、良心的な価格設定と感じました。

2011/03/07

今日の名湯「佐賀・武雄温泉“殿様湯”」



三泊四日の「九州・湯あたりの旅」を終え、先ほど自宅に戻ってまいりました。
 福岡空港を飛び立つと1時間40分で仙台空港に着きますので、世の中は便利になり
ましたが、今は海外よりも国内旅行の方が高くつきますね。
 出発前のMyブログで、1300年の歴史と風情漂う楼門と新館、今は使われていない
浴室をご紹介しましたが、本日は、今も現役の“殿様湯”がご登場です。

【温泉遺産の貸切湯“殿様湯”】
二つのアングルでご紹介する貸切湯は、江戸時代中期に造られた城主鍋島氏の専用
風呂で、浴槽にはすべて大理石が使われています。
 1826年(文政9年)、武雄を訪れたオランダ商館医シーボルトが鍋島氏より特別に
許され、この湯に入った時の印象を「江戸参府紀行」に紹介しているようです。
 部屋に入ると4畳半と3畳の控室があり、廊下を進んで一階下りたような位置に、
この何とも言えない空間が、今に残されておりました。

【今回の湯巡り一覧、入湯順】
本日以降どんな順番で湯巡りをご紹介するか決めていませんが、今回3日間で廻った、
4県12温泉14湯を入湯順にご紹介いたします。
 ①ここ、②嬉野「椎葉山荘椎葉の湯」、③二日市「博多湯」、④宝泉寺「石櫃の湯」
 ⑤川底「蛍川荘」、⑥奴留湯「共同浴場」、⑦満願寺「温泉館」と「露天風呂」
 ⑧黒川「地蔵湯」、⑨黒川「穴湯」、⑩黒川「山河旅館」、⑪赤川「赤川荘」
 ⑫筌の口「山里の湯」、⑬塚原「火口乃泉」、⑭由布院「下ん湯」
以上ですが、皆々様にとって「思い出深い場所や温泉」はありましたでしょうか(?)

2011/03/03

今日の野鳥「変らぬ子へのエール」③



このシリーズも今日で最終回となりました。 いつもの散歩道で出会う鳥のもう一組が
「Ke~n!、Ke~n!」と人の名を気安く呼ぶ“きじ(雉)”です。
 昔から、キジも鳴かずば撃たれまい!と言われた通り、所在の分かりやすい子たち
ですが、餌の少ない今の時期は藪の中でガサゴソしています。
 今回はご夫婦で登場させましたが、実は上の♂君は奥さんを二人も持っております。
下の♀が第一か第二夫人かは分かりませんが、強い♂には複数の♀がいるようです。
 昨年は、お子さま三羽連れの♀とやや遅れた一人っ子の♀でしたが、今年の子育て
がどうなるか、今から楽しみにしております。

【広瀬川中流域の留鳥たち】
今回は「かわせみ」「もず」「きじ」を代表選手として載せましたが、いつもの散歩道で
出会う留鳥は、「はくせきれい」「せぐろせきれい」「すずめ」「はしぶとがらす」「とび」
「かるがも」「かいつぶり」「しじゅうから」「えなが」「うぐいす」、そして、煩い「アヒル」達
(野鳥ではありませんが!)の集団です。
 そして面談率が多少落ちるのが、「おしどり」「さぎの仲間」「いそしぎ」「いかるちどり」
「いそひよどり」と言ったところでしょうか。
これに夏鳥か冬鳥が混じりますので、いつも20種以上の鳥との出会いがあります。

さて、明日から4日間、九州旅行のため留守をします。 ブログの更新や皆々様への
訪問ができませんが、新しいネタを仕入れてきますのでご了解ください。

2011/03/02

今日の野鳥「変らぬ子へのエール」②



前回のシリーズ①では、広瀬川の代表選手「かわせみ」を登場させましたが、いつもの
散歩道で、一年を通してお会いするのが“もず(百舌)”のご夫婦です。
 今日27日は天気も良かったので、広瀬橋から河原に下りて、川下の千代大橋まで
のんびりと歩いてみました。
 最初に、愛宕橋と宮沢橋の間で出会ったのは奥さんの方でしたが、こちらではご主人
とお会いし、ポーズまでとってもらいました。
一昨年は元気な子が一羽でしたが昨年は不明、さて今年の子育てはどうでしょうかね。

2011/03/01

今日の名湯「国指定の重文建造物」②



昨日は、国指定重要文化財の新館と楼門の2つを、現地にあった案内板と共にご紹介
いたしました。
 今日は、内部にあった説明書きと、お湯は引かれておりませんが、何とも芸術性の
溢れる、可愛らしい浴槽をご覧いただきましょう。

【新館内部に残された歴史と伝統文化】
ここ武雄温泉は、文禄・慶長の役の際、名護屋城に集められた多数の兵士が入浴に
訪れますが、兵士に対し、他の入浴客に迷惑をかけないようにと、豊臣秀吉が示した
朱印状「入浴心得」が残されています。
 江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄え、歴史上名高い宮本武蔵やシーボルト、
伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残されているようです。

【大正時代にもあった貸切湯(家族湯)】
昨日ご紹介した案内板の末尾に、男女大浴場2室、上々湯3室と記載されていますが、
浴室内部の芸術性溢れる設計と色彩、そして浴槽は大理石を使用した一品です。
 おそらく、上が男湯、下が女湯と思われますが、出来たらお湯を張って、この雰囲気
に浸ってみたいですね。 そして、上々湯3室はこれほど美的ではないので載せては
いませんが、九州には大正時代から、貸切湯(家族湯)の伝統があったんですね。

現在この敷地内には、「元湯」「蓬莱湯」「鷺乃湯」という三つの共同浴場と、「殿様湯」
「家老湯」「柄崎亭(五室)」という七つの貸切湯(家族湯)があります。