維新前夜、津軽海峡を越えて蝦夷地へ渡った男たちがいた。幕命を受けた東北・仙台藩の藩士たち。その使命は南下政策をとるロシアの脅威から、蝦夷地を守ることにあった。
安政3(1856)年9月、元陣屋をここに築いて、東蝦夷地と呼ばれた太平洋岸の広尾、厚岸、根室、そして国後・択捉にも出張陣屋を置いた。
昭和59(1984)年、陣屋跡に併設して開館された「仙台藩白老元陣屋資料館」は、常時150名程の藩士が駐屯していたという、貴重な幕末の歴史の語り部です。





しばらくの間、仙台藩の北の防人たちの苦労を学んだ後は、建物を出て陣屋跡を散策しますが、ここにはまだ桜が残っており、蔵王山麓で聞いた「コルリ(小瑠璃)」の囀りが賑やかでした。





ここ白老は、北海道では温暖な気候であるが、藩士たちにとっては、かつて経験したことのない極寒の地であった。
加えて新鮮な野菜の補給がままならなかったこともあって、病に倒れる者が多かった。藩では医師も派遣していたが、その手当のかいもなく死亡したものは20数名を数えた。
こうして、数多くの労苦を重ねながら警備にあたって来たが、明治元年(1868)に戊辰戦争が勃発し、官軍の来攻を知った藩士たちは海路仙台に撤退して12年の幕を閉じた。 (「仙台藩白老元陣屋跡」パンフレットより一部抜粋 )