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2023/02/12

真田幸村公、血脈の地「矢附真田の郷公園」

ブログ記事の冒頭は、NHK大河ドラマ「真田丸」からイメージ画像としてお借りしましたが、大阪落城とともに滅亡したと思われていた幸村公の血脈、うち幸村公の子女5人は戦火をかいくぐり、密かに白石城主片倉重綱のもとで養育されていました。

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その後、5人のうち幸村公の五女阿梅(おうめ)は片倉重綱の妻となり、次男大八は伊達家の家臣となって刈田郡矢附村・曲竹村(現在の蔵王町矢附・曲竹地区)に領地を与えられました。

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日本一の兵(つわもの)真田幸村公の血脈は、「仙台真田氏」として蔵王町そして白石市に深く根を下ろしました。 (蔵王町のHPから一部抜粋)
2022/10/26

旅の終わりに「栗駒山麓ジオパーク・ビジターセンター」

今回の学びの旅に立ち寄ったのは、「栗駒山麓ジオパーク・ビジターセンター」でしたが、ここは栗駒小学校の跡地にできた施設で、聞きなれない名の「ジオパーク」とは、地質・地形から地球の過去を知り、未来を考えて活動する場所だとか、そう言えば途中「栗駒山麓ジオパーク」の丸いマークと緑のボードは各地で見てきました。
 ここ栗原で色んなことが学べる旅を!!、子どもたちが物事を自然の中で広く学ぶのは、大切な学習の場だと感じました!!

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施設の職員から勧められたのが、上映時間真近かの大型スクリーンでしたが、改めて2008年4月1日の出来事が蘇ってきました。

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あの3.11から僅か3年程前に、地震大国の日本にはこんな大災害もあったんですよネ~!!

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2022/10/25

秋深し「平成20年岩手・宮城内陸地震の被災地を行く」

今回の旅である栗駒山麓周辺は、「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震の被災地」のど真ん中で、そんな思い出に浸りながら「駒の湯温泉」にも立ち寄りました。
 あの折、「栗駒五湯」と呼ばれた温泉地は、二湯が地上から消滅し、ほかの湯宿もそれぞれに被災、復活には長い道のりがありましたが、ここ「駒の湯温泉」は多くの支援者のおかげで復活しました。

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駒の湯を後にする際は、奥に地すべり跡が見える慰霊碑に手を合わせ、この日の昼食は巨大な伊達岩魚でも有名になった「数又養魚場」へ、旅友の話では養魚施設も数が減ったそうです。

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最後は、荒砥沢ダム湖(藍染湖)の横を通り過ぎますが、こちらの慰霊碑にも手を合わせると、この日に立ち寄った「栗駒山麓ジオパーク・ビジターセンター」での光景が蘇りました。

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なお、昨日のミヤギテレビ「OH!バンデス」では、「3.11震災犠牲者を悼む彫刻作品の物語」後編、宮城県名取市墓地公園版が放送されました。 感謝!!
2022/08/28

北のパラオ「天皇皇后両陛下 行幸啓記念碑」2

同じタイトルで2018.09.01にアップした記事の続きですが、鎌先温泉から遠刈田温泉に向かう途中、久しぶりに「蔵王町、北原尾地区」を通りました。
 ここは、パラオからの引き揚げ者たちが戦後に入植した地区で、パラオを忘れないようにとの願いから名付けられたのが北のパラオ「北原尾」でした。
 戦後70年の節目に、現在の上皇上皇后様が「パラオ共和国」を訪れ、それから僅か二か月後に私的旅行としてここを訪れたことに、アホなオイラでも深い感銘を受けたものでした。

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2022/08/26

歴史を物語る「旧上戸沢検断屋敷、木村家住宅」

【材木岩公園に移築、復元された「旧上戸沢検断屋敷、木村家住宅」】
白石市小原の上戸沢(かみとざわ)は、山中七ヶ宿街道の最南端に位置し、20数件ほどからなる山間小集落で、仙台藩境の番所がおかれていた宿場でした。
 七ヶ宿街道は、福島県小坂(現福島県国見)から、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原を経て、山形県上ノ山に至る街道で、上戸沢から湯原まで仙台藩領の七つの宿場の存在から「七ヶ宿街道」と呼ばれてきました。
 上戸沢には本陣はなく、検断屋敷(宿場の伝馬人足を取り仕切る、木村家)が準本陣として、大名などの休憩にあてられていました。

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2022/05/24

幕末維新を生きた北の防人「仙台藩白老元陣屋」

維新前夜、津軽海峡を越えて蝦夷地へ渡った男たちがいた。幕命を受けた東北・仙台藩の藩士たち。その使命は南下政策をとるロシアの脅威から、蝦夷地を守ることにあった。
 安政3(1856)年9月、元陣屋をここに築いて、東蝦夷地と呼ばれた太平洋岸の広尾、厚岸、根室、そして国後・択捉にも出張陣屋を置いた。
 昭和59(1984)年、陣屋跡に併設して開館された「仙台藩白老元陣屋資料館」は、常時150名程の藩士が駐屯していたという、貴重な幕末の歴史の語り部です。

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しばらくの間、仙台藩の北の防人たちの苦労を学んだ後は、建物を出て陣屋跡を散策しますが、ここにはまだ桜が残っており、蔵王山麓で聞いた「コルリ(小瑠璃)」の囀りが賑やかでした。

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ここ白老は、北海道では温暖な気候であるが、藩士たちにとっては、かつて経験したことのない極寒の地であった。
 加えて新鮮な野菜の補給がままならなかったこともあって、病に倒れる者が多かった。藩では医師も派遣していたが、その手当のかいもなく死亡したものは20数名を数えた。
 こうして、数多くの労苦を重ねながら警備にあたって来たが、明治元年(1868)に戊辰戦争が勃発し、官軍の来攻を知った藩士たちは海路仙台に撤退して12年の幕を閉じた。    (「仙台藩白老元陣屋跡」パンフレットより一部抜粋 )
2021/08/05

奥州歴史の旅「伊達62万石の宿、青根温泉“不忘閣”」

蔵王連峰の東側、花房山の中腹にあるのが青根温泉ですが、その中でもひときわ風格を漂わせているのが、ここ藩主の湯治場「湯元 不忘閣」です。
 開湯は享禄元年(1528年)と言われますので今から490年も前、屋敷内には伊達藩主ご用達であった「御殿湯」と、当時の別邸「青根御殿(不忘閣)」を擁する堂々の造りです。
 まるで遠い昔で時間が止まっているような、旧湯治部の建物は100年を超す木造、レトロな趣のある旧客室「金泉堂」は、朝夕食の会食室と休憩処として利用されています。
 今回も又旧友と、新しいものがほとんどない湯宿を楽しんでまいりました。感謝!!感謝!!

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それでは湯場の「御殿湯」と「大湯」ですが、それぞれの解説は案内板にお任せしましょうか。

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後は、「新湯」「蔵湯」そして遊び心の「亥之輔の湯」と続きますが、朝の散歩でくぐった門の脇にある看板「文人達の湯」も宿の歴史そのものですが、画像は絵にならないのでカットです。

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