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2019/11/20

山寺(寳珠山 立石寺)の思い出「ぴんころ車」

山形の旅で最後に訪れたのが山寺こと「寳珠山 立石寺」ですが、ここはかの松尾芭蕉翁の俳句でも有名な地です。
    静かさや 岩にしみ入る せみの声
今日は、そんな風景をご覧いただきながら、爺々のたわごとにお付き合いください。

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でも、私の心にしみ入ったのは、山頂でお参りをした際の「ぴんころ車」
    健康でいつまでもピンピンと
    いよいよの時が来たらコロッと
私もいよいよ終活期に突入、「出来ればオイラもかくありたい」ものです。

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思いを込めて「数珠玉」を一周させると、その願いが叶うそうですよ。  「びんころオヤジ」
2019/11/02

「上山藩武家屋敷通りと上山城」

「山形の湯めぐり」初日の昼食後は、「上山藩武家屋敷通りと上山城」のぶらり散策でしたが、私にとっては秋田の角館と同じ位に大好きな、静かで風情のある街並みです。

【「上山藩武家屋敷通り」の解説】  (2枚目の解説版から引用)
上山城(月岡城)が元文四年(1535)に築かれると、その西・北部一帯は武家屋敷となり、この中丁通りには、藩の要職にあった家臣が居住していた。
 現存している家屋は、茅葺屋根、鉤形の曲り屋で、玄関と通用口とを別にする武家中門造り
の建築様式であり、十七世紀中頃の建造と推定され、屋敷周りには土塀または土塁が築かれて
いた。
 後に、藤井松平時代に西山の谷川から引水して造られた庭園の池には、風致を添えると共に、防火用水ともなっている。

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更に進むと上山城が見えてきますが、ここは温泉バカの大好きな「いで湯の城下町」です。

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2019/07/02

北山五山と輪王寺(後編)「庭園が魅力“輪王寺”」

先月6月27日は、翌日から全国的に天気が崩れる予報で、久々に仙台の紫陽花寺「資福寺」を訪ねました。
 そして「資福寺」の次は、そのお隣にある曹洞宗の「輪王寺」ですが、今は池に咲くスイレンが彩りを添えていました。

【北山五山と輪王寺物語(後編)】
北山五山(きたやまござん)の江戸時代初期の並びは、東から西に光明寺、満勝寺、東昌寺、覚範寺、資福寺となっていました。
 現在、満勝寺が北山丘陵にないため、資福寺の西に隣接し、伊達五山と同様、福島から奥羽各地を伊達家と共に変遷した曹洞宗の「輪王寺」を代わりに加えて「北山五山」とする例もありますが、一般には誤用とされます。

【伊達政宗公が隠した「星の街」】
この北山五山の中央にある東昌寺と、仙台城本丸、そして榴岡天満宮を繋ぐ三角形、さらに大崎八幡宮と仙台東照宮、愛宕神社を繋ぐ逆三角形が「仙台の街」に隠されています。
 陰陽道では陽の星を「五芒星」、陰の星を「六芒星」で表し、どちらも様々な霊的攻撃から守るために使われてきた、平易な言葉にすると「結界」です。
 「六芒星」は、ユダヤ教では神聖な図形としてイスラエルの国旗にも描かれており、「ダビデの星」と呼ばれています。

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それでは、入口のゲートを越えて、5月中旬のアヤメやサツキの季節も終えた園内に入ります。

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2019/07/01

北山五山と輪王寺(前編)「紫陽花寺“資福寺”」

先月6月27日は、翌日から全国的に天気が崩れる予報で、久々に仙台の紫陽花寺「資福寺」を訪ねました。
 仙台の場合は心配するほどの大雨でもなく、梅雨に入った程度のお湿りでしたが、この三日間で境内の紫陽花も見頃を迎えたことと思います。

【北山五山と輪王寺物語(前編)】
北山五山(きたやまござん)は、仙台市青葉区の旧仙台城下町(現在の仙台市中心部)の北に、東西に横たわる北山丘陵にある5つの仏閣のことをいいます。
 仙台城の鬼門を守るという意味の他、奥州街道や根白石街道の関門になって仙台城下町の北の守りともされてきました。
 北山五山は、仏教を深く信仰した四代伊達政依が、現在の福島県伊達郡に鎌倉時代に創建した5つの臨済宗の寺が基になっており、伊達家の本拠の移り変わりと共に奥羽各地を変遷し、仙台開府の際に北山の地に落ち着き、以後「北山五山」と呼ばれるようになりました。

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境内を一回りし、本堂脇から裏門に向かいますが、駐車場から見た石碑が何ともオシャレです。

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2019/02/03

激動の歴史の中を歩みつづけた「白石城」







2つの温泉めぐりの途中に立ち寄ったのが、白石市の中心部にある「白石城」で、
建物は全国的にも数少ない、木造による復元が採用されています。
 今日は湯めぐりの合い間のコーヒーブレイク、激動の歴史の中を歩みつづけた
お城の物語です。 以下の文章は、観光案内所のパンフから転載いたしました。

(コメント欄は閉じており、歴史好き、城郭好きの方はごゆるりとご一読ください。) 

【激動の歴史の中を歩みつづけた「白石城」】
天正十九年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、
黒川城(現在の会津若松城)とともに蒲生氏郷に与えた。
蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を築城し城主となった。
 慶長三年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再
構築を行い居城した。
 慶長五年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方
は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後は
明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。

    【以下、城郭の構造などは割愛します】

元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新
には奥羽越三十一列藩同盟がこの城で結ばれ、公儀府が置かれ輪王寺宮が
滞城された。
 その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には
一役を担う重要な城であった。

2018/10/30

奥会津・只見川 「復活・霧幻峡の渡し舟」











今回の写真講座、午前中は早戸温泉「つるの湯」の船着場から、昔懐かしい
櫓櫂(ろかい)の和舟に乗って霧幻峡へ渡りました。

【以下は、霧幻峡プロジェクトの小冊子からの抜粋です】
霧幻峡は、300年間の歴史を紡ぎながらも、昭和39年に裏山の土砂崩れ
で、残念ながら廃村となりました。
 その廃村集落には、今なお大山祇神社や子安観音、霧幻地蔵や古民家、
硫黄鉱山等の産業遺産が歴史のままに残されています。
    (以下、一部省略)
 昭和39年4月16日午前6時、三更部落背後の上部山腹(通称ブナ坂)が、
大音響と共に崩壊し、一瞬の内に部落を埋め尽くしました。
 戸数10戸の三更集落は、集団移転を余儀なくされ、各地に分散、集落は
廃村となりました。それに伴い、集落と対岸の早戸との間を繋ぎ、地区民の
暮らしと命を守っていた渡し舟もその役目を終わる事になりました。

実は、今回講師を引き受けてくれた郷土カメラマン、星 賢孝(ほし けんこう)
氏は、この地で生まれ育った方でした。
(興味のある方は、この名前で検索すると、写真を含め色々出てきますよ!)

【こちらは、今年5月の早戸温泉「つるの湯」です】
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9oaXRvdW5pbWVndW1hcmUvMzc1MzQzOTEuaHRtbA--

2018/10/11

「幕末から新政府、翻弄される仙台藩」









三連休の最終日に纏めていたのは、久しぶりの「奥州歴史の旅」ですが、
湯めぐりの帰り道に立ち寄ったのが「旧有備館」でした。
 ここは鳴子温泉にほど近い、岩出山伊達家の学問所で、明治元年から
起算して150年の特別企画「伊達邦直と家臣団、ふたつの道の選択 ~
有備館からの出発~」が開催されておりました。

明治に改元される慶応四年、新政府軍と旧幕府軍とのあいだに始まった
戊辰戦争では、仙台藩は多くの死傷者を出しての敗戦となりました。
 戊辰戦争後、禄高を大幅に削減された伊達家では、家民救済のために
北海道開拓に活路を見出そうとします。

【北海道開拓にかかわった宮城県人】

   岩出山伊達家   …  現在の当別町
   亘理伊達家    …  現在の伊達市
   伊達一門片倉家 …  現在の札幌市白石区  など
   (片倉小十郎の流れをくむ白石城主、藩には二つの城がありました)

反面、歴史にはこんな史実も埋もれており、NHK「西郷どん」の続きです。
【仙台に眠る「鹿児島県人七士の墓」】
https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9oaXRvdW5pbWVndW1hcmUvMzE1MDQ4ODUuaHRtbA--

最後は明るく「撮り鉄Kenちゃん」、JR陸羽東線「有備館駅」の風景でした。